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訪問園プロフィール
「りんごの木」は、子どもに関するトータルな仕事をする場。個性豊かなスタッフがそれぞれに得意分野を活かして、保育から出版、セミナーやイベントまで、幅広い事業を展開しています。「りんごの木」の保育部門にあたる「りんごの木子どもクラブ」。横浜市都筑区内の3箇所に拠点を構え、1歳親子〜未就学児約100人が通う認可外保育施設として、子どもたちの育ちを見守っています。
インタビュイープロフィール
©フローレンス
保育者・青山誠さん(写真中央)
「りんごの木」保育者。大学時代のボランティアでの子どもとの出会いをきっかけに、芸術学部文芸学科卒業後すぐ、幼稚園に就職。保育園での勤務を経て、2007年(?)より現職。保育の他に執筆、イベント企画など幅広く子どもに関わる事業を展開中。著書に『子どもたちのミーティング〜りんごの木の保育実践から』(柴田愛子との共著/りんごの木)、絵本『あかいボールをさがしています』(文・青山誠、絵・くせさなえ/小学館)など。
(引用元:グリーンズ企画)
「子どもが主役の場所」。保育者としてどうそこにいればいいのか、気をつけていること
-「子どもが主役の場所」とおっしゃいます。保育者としてどう気をつけているのか、教えてください。
子どもをよく見ることです。こうやって公園で遊んでいても、隅っこに座っているな、とか、「お腹が痛い」と言っているけど、単に腹痛ではなくていやなことがあったんだなとか、いつもと違う場所にいるな、どうしたんだろう、とか。「子ども理解」をする。
©フローレンス
例えば、今子どもが転んだよね。じゃあ、すぐ助けに行ったほうがいいのか、絆創膏を持っていったほうがいいのか、見ていたほうがいいのか。
(そう言っている間に、他の子どもがかけよって、大人を呼びに行った)
もし、これで僕が先に助けに行っていたら、今の子どもの関わり(他の子が友達を気遣って大人を呼びに行く)はうまれなかったんですよ。だから、判断、関わりの主体は子ども。保育者は脇役として子どもを見て理解することが大事です。保育者は、そうした関わり合いに対して関わる。
-関わり方の判断に迷うことはありませんか?見守る、共感する、介入する、どれにしたらいいのだろう?と
迷いますよ。迷いながら試行錯誤している。ただ、3人のチームでやっているから安心。違う視点で、こうしたらどうだろう?と意見をもらえるから、またやってみる。それの繰り返しです。それに、僕らはこれまでの経験からある程度見通しを持っている。だから、この場で走り出す子どもを慌てて追いかけなくても大丈夫、とか、このレベルならまだ見ていてOKなどの判断はできますね。
-子どもをコントロールしたい気持ちが出てくることはありませんか?
それはないですね。あくまでも子どもが主体。先日、どこに遊びに行きたいかって話をしていたら、いろんな意見が出て。「新横浜」って子がいたから、理由を聞くと「駅員さんがいないところをこっそり歩きたい」とか(笑)。ある子は「温泉に行きたい」って。「温泉に大人数でいくと『遊んじゃだめ』とか『騒がないで』とか、温泉の人に言われるかもよ、それでもいい?」と聞くと、「遊べないならやめる」という子が多くなりました。でもどうしてもあきらめられない子もいたので、どうしたかと言うと、みんなで考えて、園に温泉を(見立てて)作って入ったんですよ。それでもう満足。
子どもが主体だけど、もちろんできないこともある。その場合でも、子どもが満足するようにみんなで考えるんです。大人が考えたものに、子どもが乗るかどうかではなく、子どもと一緒に創っていく。そうすると保育が本当に広がります。だって、大人はいつも同じメンバーだけど、子どもは毎年変わりますからね。子どもの個性の分だけ遊びが広がります。本当に楽しい仕事ですよ。
チームワークの秘訣は子どもを語ること。そして保育を忘れること。
©フローレンス
-チームの話が出ましたが、大人のチームづくりは難しくないでしょうか?工夫があれば教えてください
保育を語らず、子どもを語ることです。保育を語るとどうしても、良い悪いの議論になったり、経験豊富な人が正しいみたいになるんですが、そうではなく、子どもを、具体的に●●ちゃんてさ、、、●●って思っていたんじゃない?と子どもを語る。なるべく多くの視点がでたほうが良いという前提で、複数の目で子どもを見ることが大切です。だって、子どもって大人一人ひとりに見せる顔が違うんですよ。お母さんに見せる顔とお父さんに見せる顔、ましてや私に見せる顔はもっと違う。週に1回、3時間、職員全員が集まって子どもを語る「子ども理解」の時間という会議を開いています。
ベテランだから良いかというとそうでもなく、経験という枠組みに縛られてしまうこともあるけど、新人は身体的に子どもと近かったり、やってしまうことも多いんですけど、やってしまうこと自体が悪いかっていうと、そうでもないし。ベテラン、若手、とにかく複数の視点があることが大事です。
-子どもを見て、語る、以外に保育者に大切な仕事はなんでしょうか?
子どもを伝えることも大切です。例えば、ある親が、なんでこんなに寒いのに裸足で遊ばせるんですか、と言ってきます。そうしたら、その子が裸足で体験した楽しさを物語で伝えるんです。単に連絡帳に箇条書きで、「今日は裸足で遊びました」ではなく、裸足で落ち葉を踏みしめて走り回ったんですよ、いつもは登らない木にに登ったりして・・・」と。そうすると、親も「ああ、そうか」と納得する。
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だから、話し方には厳しいですよ。「その言い方よくわからない」とか、お互いに指導が飛び交います。伝えるという意味で、親が集まる「おはなし会」も定期開催しています。今の親は子どもの集団を見ていない、慣れていないですから、自分の子どもだけでなく、集団についても伝えて、子どもを育てる仲間になってもらっています。
-保育者もまず自分がある、という点には共感します。青山さんが大切にしていることはなんですか?
忘れる瞬間を作ることですね。人との関係性の中にいる仕事なので、常にたくさんの気持ちを分かち持っています。保育は、ずしんと重いものを担っている。これは子どもの存在の重さだと思っている。とても重要な仕事です。だから、子どもにバイバイしてから、次の日気持ちよくおはようって言えるように、その間は全く違うことをします。本をよく読みますね。
©フローレンス
子どもが見えてくる瞬間がある。その子の見てる風景を見る。一緒に遊ぶ、身体を動かす、温度を感じる。
-保育者としてのやりがいを教えてください
子どもが見えてくる瞬間です。子どもの見方には2つある。
一つは対象として見る。どうにかしよう、どうしてあげようと見る。もう一つは、その子の見てる風景を見る。一緒に遊ぶ、身体を動かす、温度を感じるんです。例えば、4月に入園したばかりで、朝お母さんと分かれてしょんぼりしゃがんでいる子がいたんです。対象として見ると、「大丈夫。14時にはお母さん返ってくるよ」とか、なんとかしようと声をかけたくなる。でも、私はその時、同じ向きにしゃがんでみました。そしたら、その子がお母さんが行っちゃった方をじっと見ていたことに気づいたんですよね。そしたら、「●●ちゃん、お母さん、行っちゃったねー」って言葉が自然と出てきた。そして、一緒に下を向いてそこらに落ちてる葉っぱをいじっていたら、その子が葉っぱの裏にダンゴムシを見つけて、「うわー!!!」ってなって。
まず受け止めてもらって、初めて次にいけるんですよね。大人が対処しないといけないのが保育ではない。待つのが仕事。ただ待つのではなく集中して待つ。一緒にしゃがみこむことでその子が見えた瞬間でした、嬉しかったですよ。
社会全体で子どもを育てる世界になってほしい
-りんごの木の今後のビジョンを教えてください
保育所をばんばん創っていく今の社会に逆行しているんだけど、今の幼稚園や保育園がなくなればよいと思っています(笑)。一人の子どもを育てるためには村一つ必要って言われるくらい、社会で子育てしないと子どもは育たない。にも関わらず、今の長時間の働き方を変えずに、保育所だけ創ったって、そのツケをお母さんと子どもが担わされているだけですよ。子どもの最善の利益はどこいった、それでいいのかい?よりよい施設ってなんだろう?と。
もう一度、一番よく子どもを見ている保育者として、子どもの代弁をして世に伝えていく、そして社会を変えていくことが必要じゃないかって思いますね。体力が続く限り。
りんごの木の保育のここがスゴいい
ずしんと重たいものをいつも担う保育者の気持ち。保育者の専門性や責任感といった他者からは見えにくい部分が少しでも伝わったでしょうか。すべてを同じように出来るわけではありませんがこんなスゴいいところは真似できるかもしれません。
1.保育を語るのではなく子どもを語ることによって立場・キャリア関係なく議論ができるようになる
保育を語るとどうしても、良い悪いの議論になり、経験豊富な人が正しいとなりがちですよね。そうではなく、子どもを、具体的に●●ちゃんてさ、、、●●って思っていたんじゃない?と子どもを語る。なるべく多くの視点がでたほうが良いという前提で、複数の目で子どもを見ることが大切です。
2.子どもと向き合って対象としてみるのではなく、隣にしゃがんでその子の見ている風景をみる
子どもを「対象」としてみたら「どうしたのかな」と思うときがありますよね。そうすると「お母さん行っちゃったけど、2時には帰ってくるよ、なんか一緒に面白いことしようよ」と声掛けてみたり、”どうにかしよう”とあれこれするものです。それ自体は悪いことじゃありません。一方保育士は「その子の見ている風景」をみる。同じ体の向きでしゃがんで見る。その子の隣に座り込むと、その子の見ている風景が見えてくるようです。例えばお母さんが行っちゃったあとをずっと見ているとする。「行っちゃったね。」と言葉にすると、「うん」と返してくるそうです。そうして地面の落ち葉とか一緒にいじってるとそのうち「ダンゴムシ」とか言って見せてくるものだそうです。お母さんの行った道からダンゴムシに子どもの心が移った感覚を得られるようになってきます。
3.子供との関わり方の判断はチームで考えよう!違う視点で、こうしたらどうだろう?と意見をもらおう
子どもとの関わり方は誰もが迷うもの。迷いながら試行錯誤していくしか無いようです。ただ、一人で抱え込まずチーム(3人以上)で考える。なるべく多くの違う視点で、こうしたらどうだろう?と意見をもらえれば、その中でいいと思ったものをまたやってみる。それを繰り返していけば、経験がたまり、このレベルならまだ見ていてOKなどの判断はできるようになります。
4.子どものことを物語で伝えよう
親御さんが「なんでこんなに寒いのに裸足で遊ばせるんですか」と言ってきたとします。そうしたら、その子が裸足で体験した楽しさを物語で伝えましょう。単に連絡帳に箇条書きで、「今日は裸足で遊びました」ではなく、裸足で落ち葉を踏みしめて走り回ったんですよ、いつもは登らない木にに登ったりして・・・」と。そうすると親御さんも「ああ、そうか」と納得しますよね。
5.保育から離れる時間を大切にしよう
保育は日々人との関係性の中にいる仕事。常にたくさんの子どもの気持ちを考え、ずしんと重いものを担っています。次の日気持ちよくおはようって言えるように、それまでの間は保育者も一個人に戻る時間をつくり、リフレッシュすることが大切です。
©フローレンス
りんごの木のスゴいいところは保育者にとってどれも大変参考になるものでした。こんな面白くて素晴らしい保育が増えたらいいですね!それでは次回もお楽しみに。