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「自己責任論」に苦しむ女性たちが得た気づきとは…
主人公のみかこは、友人のはるみとお茶をしつつ、自分が「おばちゃん」と呼ばれることについて意見を交わしていました。みかこ自身は子どもにおばちゃんと呼ばれることに抵抗がない一方で、自分より明らかに年上の人からおばちゃんと呼ばれるととても腹立つ…ということに気づきます。
これには、子どもなど自分より年下の人から呼ばれる「おばちゃん」は単なる記号に過ぎないと思えるのに、そうでない人から呼ばれる「おばちゃん」にはこれまで自分が「おばちゃんって〇〇だよね」とバカにしてきた「蔑みの対象として気持ち」が入っているように感じるという気づきが…。
自分自身が若いころに飛ばしたブーメランが今になって返って来たことに気づいたみかこに、友人のはるみはもう1つ、ある話をし始めます。それははるみの友人が小学校高学年の娘と一緒に大衆的な居酒屋に夜ご飯を食べに行ったという内容だったのですが…。
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若さと美しさを引き換えに「恩恵」を受けていたころは、自分が「消費されている」ということには気づきにくいですよね。若さと美しさを持てはやす人たちの視線の奥、言動の先に、一体どんな思考があるのか…これは本当に「この時代」を抜けてみないと気づかないことなのかもしれません。
はるみの友人は、自分の子どもを通して「値踏みされている・消費されている」嫌悪感をまざまざと見せつけられる場面に遭遇したわけです。そして、かつての自分がそうした値踏みをする側にとって都合がよい価値観を「自分の価値基準」にしてきたことにも気づきました。
自分を美しく保ちたい、輝いていたい、という気持ちはとても大切ですよね。ただ、その願いは「自分の心からの望み」であってほしいもの。誰かの価値基準で振り回されていると、本当に満たされた自分に近づくのは難しそうです。誰かと比較して満足度を得る相対的な生き方ではなく、自分の中の「こうありたい」という絶対的な基準を大事にして生きていきたいですね。










