運動会の「残り2枠」の招待席
秋晴れの心地よい風が吹く中、小学校に入学して初めての運動会が近づいていました。
一生懸命ダンスやかけっこの練習に励む息子の蓮(れん)を見て、私は「当日はみんなで応援してあげたいな」と思っていました。真っ先に頭に浮かんだのは、いつも蓮を熱心に可愛がってくれる私の両親です。節目の行事やお誕生日には必ずお祝いをしてくれ、蓮の成長を誰よりも喜んでくれる存在でした。
しかし、あいにく今回はどうしても都合がつかないとのこと。
学校から配られた保護者の観覧席には、まだ2人分の空きがありました。このまま席を空けておくのももったいないと思い、私は夫の健太(けんた)に相談し、夫側の両親を誘ってみることにしたのです。
「運動会、もしよかったら蓮の応援に来ませんか?」
連絡を入れると、2人は「ぜひ行きたい」と快諾してくれました。わざわざ足を運んでくれることに、そのときは純粋に感謝の気持ちでいっぱいでした。
漂う「お客さん感」への違和感
運動会当日。蓮は大きな声を出して走り回り、日頃の練習の成果を存分に発揮してくれました。
観覧席で応援してくれた義両親も、蓮の姿を見て目を細めていました。無事にプログラムが終了し、私たちは「せっかくだから、みんなで遅めの昼食を食べに行こう」と、近くの和食レストランへ向かうことに。
しかし、お店に着いたあたりから、私はなんとなく心の中に小さな違和感を覚え始めていました。
義両親からは「よく頑張ったね」という言葉はあったものの、どこか「見に来てやったぞ」という、お呼ばれされた「お客さん」のような雰囲気が漂っていたのです。
楽しい食事の時間が終わり、お会計のとき。
義両親が財布を出す素振りはなく、支払いは当然のように夫の健太がカードを出して済ませました。
「わざわざ来てくれたんだし、こちらがもてなすのが筋なのかな…」
そう自分に言い聞かせようとしましたが、モヤモヤとした気持ちが心の隅に居座り続けていました。
実両親の手厚さと、育ってきた環境の差
もし、これが私の両親だったら――。
帰りの車中、私はどうしてもそんな比較をしてしまっていました。私の両親であれば、孫の頑張りを目の当たりにしたら「よく頑張ったね! 好きなもの何でも食べなさい」と、食事代を出してくれるのはもちろん、ちょっとしたお菓子やご褒美のプレゼント、なんなら「これでおもちゃでも買いなさい」とお小遣いまで持たせてくれたはずです。
私自身がそういう手厚い環境で育ってきたからこそ、夫の家族の「言葉だけのお祝い」に対して、どうしても物足りなさや寂しさを感じてしまったのです。
「来てくれただけでありがたいと思わなきゃいけないけれど、形としてのご褒美が何もないのは、やっぱり何かモヤモヤするな…」
悪気がないのは分かっているからこそ、誰にも言えない不満が胸の中に溜まっていきました。
それぞれの家庭が持つ「心地よい距離感」
その夜、子どもが寝静まった後に、私はそれとなく夫に昼間の違和感を打ち明けてみました。すると夫は、驚いたような顔をしながらも、自分の実家のカルチャーについて話してくれました。
「うちの親戚は運動会でお祝いしたり、ものを買ったりする習慣はなかったな。言葉で褒めたり、子どもの頑張った話を熱心に聞いたりすることが一番だと思っていたんだと思うな」
夫の言葉を聞いて、私はハッとしました。どちらが正しくて、どちらが間違っているという問題ではないのだと気づかされたのです。
私の両親のように、目に見える形でほめる気持ちを伝える家庭もあれば、夫の実家のように、言葉や態度でほめることを重視する家庭もある。義両親からすれば今回は「招待されたから、お邪魔させてもらった」という素直な気持ちだったのかもしれません。
育ってきた環境が違えば、行事での感覚が異なるのは当然のこと。蓮を応援したいという気持ちに嘘はなかったということです。
「次は、最初からこちらの奢りだと割り切って招待するか、お互いに気を使わない工夫をしよう」
そう心の中で整理がつくと、すっと胸のつかえが取れました。家族の数だけ、ちょうどいい距離感とお祝いのカタチがある。そんな学びを得た、初めての運動会となりました。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています










