勉強を教えるのは意外と難しい
いざ子どもに勉強を教えるとなると、どう伝えたらいいのか頭を悩ませることがあるのではないでしょうか。また、思いもよらない質問を受けて答えに詰まることもあるかもしれませんね。
投稿者・ロボ太さんは娘さんに国語を教えているとき、思わず日本語の難しさを実感したそうです
娘に国語を教えてる。
俺「……というわけで、『意味が重複する言葉を重ねてはいけないんだ」
娘「『頭痛が痛い』みたいな?」
俺「そうそう」
娘「それじゃさ、『歌を歌う』は?」
俺「え?」
娘「『歌を歌う』は重複してるように見えるけどいいの?」
俺「……(また汗が吹き出す)」 ※1
同じ意味の言葉を重ねた表現である「重ね言葉」を使わないように子どもに伝えたロボ太さん。「頭痛が痛い」という例えがスッと出てくる娘さんもすごいですが、その次に「歌を歌う」が出てくるのは驚きですよね。
この投稿に「確かに」や「すぐに浮かぶ娘さんが賢い」といったコメントがついていました。子どもの視点の鋭さを実感させられるエピソードですし、日本語の難しさを改めて考えさせられます。
NHK放送文化研究所は「歌を歌う」などの表現について以下のように掲載しています。
まず、重複表現には「おかしい」と感じられやすいものと、そうでないものとがあります。ただし1982年に文研でおこなったさまざまな重複表現に関するアンケートでは、おかしいものからそうでないものまで、なだらかに連なっているような結果が出ました。つまり、おかしいかどうかをはっきりと区分けできる性質のものではないようです。
「頭痛が痛い・馬から落馬・食事を食べる・日本に来日する」などは、おかしな重複表現の例としてよく挙げられます。こういったものは放送では使うべきではないでしょう。
では、「一番最初・二度と再び・被害を被る・あとで後悔する」などはどうでしょうか。だめだという人と、かまわないという人とがいるでしょう。判断が難しいところです。
「歌を歌う・踊りを踊る・掛け声を掛ける・犯罪を犯す・たばこの火が引火する・○○賞を受賞する」などは、ほかの言い方を考えるのが難しいくらい日本語としてはなじんだ言い方だと思います。 ※2
文字で見れば重ね言葉に見える言葉も、他の表現が難しいほど言葉としてなじんだものがあり判断が難しいとしています。
正解を答えるのは難しい問いですが、親子で「この言葉はどうだろう」と考える時間そのものが学習になっている気がしますよね。親子で一緒に学ぶ時間は、子どもだけでなく親にも発見を与えてくれているのかもしれません。