リオデジャネイロパラリンピック!
リオデジャネイロパラリンピックの開会式では入場する際のプラカードがパズルのピースになっており、完成すると、選手全員の顔写真で心臓が作られるという演出でした。
どの選手も明るく、見ている私たちまで自然と笑顔になるような開会式でした。そしていきなりの大雨により聖火ランナーのマルシア・マルサルさんが転倒するアクシデントがありましたが、すぐさま観客全員が立ち上がりエールの拍手を送る姿には、本当に感動し涙しました。
リオパラリンピックの日程
今回のパラリンピックの日程はこのようになっていました。
この表を見て、思った以上に競技種目があるんだなと思いました。どの競技でも選手たちは精一杯頑張っており、そのパワーとスキルは私たちの想像と限界をはるかに超えてるなと驚かされるばかりでした。
今回のメダル獲得数
今回の金メダルの獲得目標は10個。前回のロンドンパラリンピックの金メダル獲得数が5個で、今回はその倍を目指して選手も頑張って大会に望んだそう。
結果は銀メダル10個、銅メダル14個。惜しくも金メダルは取れませんでしたが、どの選手もメダルを目指して頑張っていた姿は素晴らしかったですね。
パラリンピック出場選手と家族の絆
オリンピックもパラリンピックも色んな思いを持って出場している選手が大勢います。そんな選手や選手を支えているご家族の事を紹介します。
バタフライマダム!卓球、別所キミヱ選手
ご存知の方も多い選手の一人です。「嫌らしい」をモットーに相手の取れない場所にボールを落とすハイテクニックな卓球をする選手です。車いすという事を活かし繰り広げられる卓球に吸い込まれます。そんな別所選手は、現在68歳。派手なネイルと蝶々柄の髪飾りから「バタフライマダム」と呼ばれています。
別所選手は最初から卓球をしていた訳ではありません。体を動かす事が好きで、違うスポーツをしていました。別所選手が39歳の時、ご主人を急性くも膜下出血でなくされています。
そして41歳の時、別所選手を仙骨巨細胞腫が襲います。2度の手術の末、車いす生活を余儀なくされました。
その後、リハビリのために始めたのが卓球です。そこからまさかの6年でいきなり全日本で優勝。2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンパラリンピックに出場し、今回が4回目のパラリンピックです。
残念ながら今回の試合は準々決勝で敗退してしまいましたが、4年後の東京パラリンピックが楽しみです!
家族からみた別所選手
別所選手が出した本の中に孫からの言葉が載っています。
べっしょのおばあちゃんへ。
マフラーをあんだよ。
おばあちゃんすき。
くるまいすにのっているから。
がんばっているから。 出典: myfavoritetopics.net
お孫さんからみても、やはりかっこ良いおばあちゃんなんだなと感動します。
怪我をした事で、見えなかった世界が見える。同じ障害を持った方や障害を抱えたお子様を育てる方にとって一つ一つの言葉や行動に元気と勇気をもらえます。
夫婦二人三脚!柔道、広瀬悠選手、広瀬順子選手
夫婦二人三脚で柔道をするこの2人も連日テレビに出ていて知っている方も多いのではないかなと思います。特定の指導者をつけず、旦那さんが奥様に柔道を指導し、二人三脚でパラリンピックの切符を手にしました。
奥様の順子選手は小さいときから柔道をしていて、高校総体にも出場していた選手です。そんな順子選手を襲った病気が「成人スティル病」という難病でした。この病気によりほとんど視野を奪われてしまった順子選手は、2012年に視覚障がい者柔道へ転向します。
パラリンピックで見事に奥様の順子選手が女性初のメダルを獲得。本当に仲良し夫婦なんだなというのが伝わってきました。特に旦那様の悠選手にメダルを貰った事を報告をする姿は本当に見ていて微笑ましかったです。
2020年の東京パラリンピックでも夫婦揃って出場してほしいなと思います。
パラリンピックの申し子!水泳、山田拓朗選手
docomoのCMにも出演していて、イケメンスイマーとして話題沸騰中の山田拓朗選手。1991年4月12日生まれの25歳で、パラリンピックの出場回数は今回のリオで4回目という、まさにパラリンピックの申し子です。
そんな山田選手は生まれつき左腕の肘から先がない「先天性前腕亡失」です。お母様の房枝さんは、山田選手が3歳の時に水泳教室をすすめます。
シャワーの水ですら顔にかかると泣いていた山田選手ですが、すぐに水に慣れて周囲を驚かせたそうです。
オリンピックを目指す子供達の中で同じ練習をこなしていた山田選手。そんな過去があるから今があるんですね。
東京パラリンピックに向けて
今回パラリンピックに事を記事にしたいと思った理由は、がむしゃらに一つの事を頑張る事、夢を持ち続ける事を忘れていた気がしたからです。
パラリンピックには、無限の可能性があるなと思いました。年齢が60歳を超えている選手を全力で応援し、それと同時に、私は60歳になった時何をしているんだろうかと考えたときに、なんだかこのままではいけないという気持ちになりました。
パラリンピックという舞台では、改めて家族の方達の支えが大きな力になっているんだなと思いました。夫婦で五輪の切符を手に入れ、特定のコーチもつけていないのに、メダルを獲得できるのは、本当に夫婦の絆があったからではないかなと思いました。私は旦那と本当に協力できているのか、感謝出来ているのかと考えさせられました。
そして、パラリンピックに出場する選手みんな輝いているなと伝わってきました。親がすすめたスポーツでパラリンピックに出場している選手も多く、障害があっても負けずに戦う選手達をみて、凄くかっこいいなと思いました。
ご両親も、色んな感情があったとは思いますが、私もどんな事でもいいからこんな素晴らしい人生を手に入れる子供に育てたいなと思いました。
そして2020年の東京大会では、パラリンピックが、オリンピックと同じようにたくさん放送され熱い大会になる事を願います。