Ⓒママリ
🔴【第1話から読む】授かり婚で迎えた義両親との初対面…義母の「うちの子は純朴だから」その言葉が地獄の始まり
義母の支配と嫌味、義妹の冷たい態度、夫の金銭的無関心——。ヒカリの結婚生活は、家族に囲まれながらも孤独と絶望に満ちていました。なんとか嫁として認められたい一心で努力を重ねた彼女を待っていたのは、あまりに理不尽な現実です。
良好な関係を望んだはずが…義母の支配が始まった結婚生活
ケイゴと結婚してからというもの、私の生活は義母に支配され始めました。義両親とは良好な関係を築きたいと心から思っていたのに、その願いは届きませんでした。
まず、賃貸の家も、義母が勝手に色々決めてしまったんです。もちろん、住むのは私たち夫婦なのに。家具の配置まで、全て義母の指示でした。「ここにこれを置かないと気が済まないのよ」と、有無を言わさぬ口調で。自分たちの家なのに、全く自由がありませんでした。
そして、それからというもの、義母からの連絡が毎日来るようになりました。電話が何回もかかってきたり、アポなしで家に訪問してきたりするんです。正直、息が詰まるような毎日でした。
嫁はただの労働力? 無視される声、支配される生活
義両親とは良好な関係を築きたい。嫁として認めてほしい。その一心で、私はあらゆる努力をしました。母の日や父の日には、心を込めてプレゼントを贈り、義祖母には敬老の日。義妹には、誕生日プレゼントまで。何とかして嫁として認めてほしくて、本当に色々なことをしました。でも、その思いは届かず……。
義母は、会うたびに私に嫌味を沢山言うようになりました。「〇〇ちゃんは、本当に要領が悪いわね」「うちのケイゴがかわいそう」など、私を否定する言葉ばかり。それに合わせて、義妹までもが、私を見下してくるような態度を取るようになりました。あからさまに鼻で笑ったり、私にだけ無視をしたり。二人に囲まれて、私はいつも針のむしろにいるようでした。
そんな義実家での嫌がらせの中でも、特に心に残っているのは、食事の時のこと。義母はいつも義祖母をいじめるようなことをしていて、義祖母がすごく不憫で仕方なかったので、義実家に行った時は、私はよく義祖母と二人でご飯を食べていました。
義母はプライドが高く、よそ様の目がある前では、形だけ私を義実家に招きます。表向きは「ご馳走するわよ」と優しい顔をして。例えば、すき焼きの時。大きな鍋を囲んで、いよいよ食事という時でした。
「さあ、皆でたくさん食べてね」
義母はそう言いながら、私と義祖母の皿には、野菜だけ。一方、義父と義妹、そして元旦那(ケイゴ)の皿には、見るからに高級な霜降り肉が山のように盛られていました。見れば分かるような、あからさまな嫌がらせです。その光景を見た瞬間、私の心は凍りつきました。
妊娠中は、パートを臨月まで続けていました。そのパート代で、家賃、光熱費、食費などをまかなっていたんです。ケイゴは、お金を1円もくれませんでした。家計が苦しくても、「俺の金だ」「俺が稼いだ金だ」と言って、生活費を出し渋るばかり。なのに、義母は私に向かってよく言いました。
「あなたは元旦那に養ってもらっているのだから、元旦那の言うことを聞きなさい」
ずっとその嫌味を言われているのも嫌だったので、ある日、意を決して義母に言ってみたんです。
「お義母さん……、実は、ケイゴさんからお金は……もらってないんです」
しかし、義母は私の言葉を信じてはくれませんでした。
「何を言ってるの!うちのケイゴがそんなことするはずないでしょう!」
と、逆に怒鳴られてしまいました。
そこから、私はケイゴと生活費の件で何度も話し合いをしました。ですが、ケイゴは頑なに「お金は払いたくない」「お前に渡したくない」と言うばかり。もう途方に暮れていました。この結婚生活、本当に大丈夫なのだろうか。私は、深い絶望の中にいました。
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あとがき:どれだけ尽くしても嫁失格!義母の支配と夫の無関心
結婚後、義母からの過干渉と嫌がらせがエスカレートする様子が描かれます。勝手に住居を決められ、毎日連絡が来るなどの束縛。さらに、食事の席での露骨な差別や「養ってもらっているのだから言うことを聞け」という義母の言葉と、夫ケイゴが生活費を一切渡さないという衝撃の状況…。
献身的に尽くしても認められず、精神的にも金銭的にも追い詰められていくヒカリが心配です。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています










