小1の娘・ももを育てながらマイホームで幸せに暮らしていた主人公・果穂。最近娘が家に呼んでいるお友達・みかんちゃんはとても元気な子で、遊びにくるたび家の中で暴れてしまいます。そんなみかんちゃんにどう対応すべきか主人公・果穂は迷いを覚えます。
庭つき一戸建てでの幸せな日々
私は、ごくありふれた30代の主婦です。夫の雄也は自営業を営んでおり、自宅で仕事をしています。そしてわが家には小学1年生の娘、ももがいます。庭付きの一軒家で、ごく平和な毎日を過ごしておりました。
庭には、ももが生まれてすぐに植えたミモザの木があり、春になると鮮やかな黄色い花を咲かせます。その下には、小ぶりなブランコが吊るされており、ももはよくそこで、空に向かって足を蹴り上げていました。
この家は、私と雄也が2人で夢を描いて手に入れた、大切な場所でした。リビングの窓から見える景色、玄関に飾る季節の花。そのすべてに、私たちの愛情と、小さな幸せが詰まっていました。
朝、目覚めてすぐにリビングのカーテンを開けるのが日課でした。朝の光が差し込むリビングは、1日の始まりを穏やかに告げてくれます。焼きたてのパンの匂い、雄也のコーヒーを淹れる音、そしてももが寝ぼけ眼で「ママ、おはよ」と声をかけてくれる瞬間。そんなささやかな時間が、私にとっての宝物でした。ただ、最近一つだけ悩みがあります。
少し元気すぎる、娘の友だち
ももは、ご近所に住むみかんちゃんという女の子と、とても仲良しです。年も同じで、小学校もクラスも一緒。学校から帰ってくると、二人はランドセルを放り出し、すぐに遊び始めます。その遊び場は、もっぱら私の家でした。
私の家は、この界隈では比較的広いほうです。リビングも庭も、子供が遊ぶには十分なスペースがあります。おまけに、雄也がいつも家にいます。だからこそご近所さんからすれば安心して子供を預けられるし、子供たちにとっては、最高の遊び場だったのでしょう。
最初は、私も大歓迎でした。ももが友達と楽しく遊んでくれるのは嬉しい。来客用の茶菓子を出したり、麦茶を入れたり、居心地の良い空間を提供することに喜びを感じておりました。それが、この状況を招いたのだと、今になっては後悔しています。
「ももちゃんち、広くていいな〜!お菓子、おいしい!」
みかんちゃんの無邪気な笑顔と、素直な言葉に、私は気を良くしていました。ももも、友達が自分の家に来てくれることが誇らしげで、とても嬉しそうでした。二人の笑い声がリビングに響くたびに、私の心にも温かい光が灯るようでした。しかし、その光は次第に、私を焼き焦がすような熱へと変わっていくのです。
我が家は、いつの間にか「溜まり場」に。毎日のように、学校が終わる頃になると、みかんちゃんが「ピンポーン」と玄関のチャイムを鳴らします。その音を聞くたびに「うわ、また来た」という感覚を覚えるようになりました。それは、これから起こるであろう騒音と、それに伴う私の疲弊を予感させる、小さな警報音でした。
「も~もちゃん、遊ぼ!」
もものかわりに私が「はーい」と玄関のドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべたみかんちゃんが立っておりました。その背後には、彼女の母親の姿はありません。まるで自分の家のように、勝手知ったる様子で家の中に入ってきます。
私は、子どもたちが楽しそうに遊んでいる姿を見るのは嫌いではありません。むしろ、微笑ましく思っておりました。しかし、少しずつ、その微笑ましさが、小さな違和感へと変わっていく。そして、その違和感は、やがて私の心を覆い尽くすほどの不安へと膨れ上がっていくのでした―――。
🔴【続きを読む】「いつも元気ね、でもね…」穏やかな隣人から寄せられたクレームにショック|娘の友達を出禁にした話
あとがき:他人の子だから悩む
自分の子どもとは違う「よその子」。わが子と同じように声掛けをしてもなかなか言うことを聞いてくれないことはあるでしょう。よその子はどこまで怒っていいのか…そこでの苦悩に心あたりがある方もいるかもしれませんね。
微笑ましい子ども同士の交流の中で、主人公の悩みが深まっていく様子が伝わってきます。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています










