🔴【第1話から読む】男手ひとつで育ててくれた父。誕生日を祝いたいのに夫が非協力的で...
父子家庭で自分を育ててくれた父の誕生日がやってきて、夫や子ども達とお泊まりがてらお祝いに行くことにした由真。しかし夫はどうも協力的ではなさそうで…。
可愛い息子と気ままな夫
窓の外には、穏やかな午後の光が差し込んでいました。
私は日課の掃除を終え、リビングから聞こえてくる子どもたちの声に耳を澄ませます。
「ママ、ここ、なんて読むの?」
小学一年生になったばかりの優希が、リビングのテーブルで宿題のプリントを広げて私を呼びました。
「どれどれ?あ、これは『あさがお』って読むんだよ。優希も学校で植えたでしょう?」
「あ、そうか!わすれてた!」
屈託のない笑顔を見せる優希の横では、一歳になったばかりの将希が、おもちゃの車を床に転がして「ブブー、ブブー」と一生懸命に声を上げています。
私は、この穏やかな日常を守るために、どれほどの我慢を重ねてきただろうかとふと思うことがあります。 私は幼い頃に母を亡くしました。
父は不器用ながらも、男手一つで私を大切に育ててくれました。授業参観にも、運動会のお弁当作りにも、父はいつも一生懸命でした。時には慣れない手つきで私の髪を結い、女の子らしい服を一生懸命に選んでくれたこともありました。そんな父の背中を見て育ったからこそ、私は「家族」という絆を何よりも大切に思っています。
そんな父の全面的な援助もあり、私たちは現在、私の実家のすぐ近くに一軒家を借りて暮らしています。 「近くにいた方が、何かと安心だろう。子供たちに何かあってもすぐに駆けつけられるしな」 そう言って笑った父の優しさに、どれだけ救われたかわかりません。
金銭的な援助だけでなく、精神的な支えとしても、父は私にとって唯一無二の存在でした。
しかし、私の夫である拓也は、その環境を当たり前の権利のように享受しながら、どこか自分勝手な振る舞いが目立つ人でした。 結婚当初からそうです。何か自分の気に入らないことがあると、話し合いを拒否して隣の県にある自分の実家へ逃げるように帰ってしまうのです。
そのまま数日間、連絡も取れずに戻ってこないこともしばしばありました。
父は夫の味方?
「仕事で疲れているんだ」「一人になりたい時もある」
そんな言い訳を繰り返す彼に対し、私は次第に心を閉ざすようになっていきました。
私がその不満を父に漏らすと、父は決まってこう言いました。
「拓也くんも、彼なりにいろいろ考えているんだろう。男には、言葉にできない責任感や重圧があるものだ。あまり追い詰めてやるな」
私はその言葉を聞くたびに、胸の奥が激しく波立つようでした。
一番の味方でいてほしい父が、なぜ私を苦しめる拓也を庇うのか。父の優しさが、時として私には残酷な放任のように感じられました。
父は、私が拓也を選んだことを肯定したいだけなのか、それとも私に「耐えること」を教えようとしているのか。その真意を測りかねて、私はいつも独りで溜息をついていました。
「パパ、あそぼーよ!」
将希が拓也の膝にしがみつきました。拓也はソファに寝転がったまま、スマートフォンの画面から目を離さずに「あとでな」と生返事をしています。 その背中を見ていると、言葉にできない諦めが心に澱のように溜まっていくのを感じます。
今日は、父の七十代半ばの誕生日です。私たちは朝から父の家へ向かう準備をしていました。 父は数日前から「優希と将希に会えるのが楽しみだ」と電話で嬉しそうに話していました。
せっかくの誕生日だから、私が腕によりをかけて父の好物を作ろうと決めていたのです。
「拓也、準備できた? お父さんの家、行くよ。遅れるとお父さんが待たせちゃうから」
「ああ、わかってるって。そんなに急かすなよ。別にお義父さんだって、そんなに時間は気にしてないだろ。定年退職していくらでも時間はあるんだから」
拓也は面倒くさそうに立ち上がりました。
私たちの家庭は、一見すると幸せな四人家族に見えるかもしれません。でも、その足元は常に、拓也の気まぐれという不安定な地盤の上に立っている。そんな不安を抱えながら、私は父の待つ実家へと車を走らせたのでした。車窓を流れる景色を眺めながら、私は心の中で「今日一日、何事もありませんように」と祈るような気持ちでいました。
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あとがき:夫と義父の絶妙な距離感
義父だからこそどこか気まずいということでしょうか?
それにしても気遣いが見えない感じがして、見ているこちら側にとってもモヤモヤしてしまいますね。夫は一体何を考えているのでしょうか。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています










