高校時代の友人が亡くなった
ある日の晩、高校時代の部活メンバーのLINEが鳴りました。投稿者はあるメンバー・Eちゃん。でも、書いていたのはEちゃんのお姉さん。内容は、Eちゃんが亡くなったことを知らせる内容でした。
Eちゃんは私の結婚式の余興で歌を披露してくれて、私が長男を生んだときは翌日に病院までお祝いを伝えにきてくれた、大切な友人です。
病気は春先に知らされていましたが、まさか1年もたたず、会えることもなくお別れになるなんて思っていませんでした。
実は高校の部活メンバーの中で亡くなった人は2人目。3年ほど前に1人が長い闘病の末に亡くなっていて、年に一度ほど有志でお墓参りをしていました。全員まだ35~36歳。この歳で2人の大切な友人とお別れするなんて、誰も思っていなかったことと思います。
病気になる前に、会うべきだった
春に闘病中と知らされてから、部活メンバーは何度かコンタクトを試みて、一部の人は面会したり退院できた際に顔を見にいったりできました。しかし、闘病中は本人の体調が変化しやすく面会人数制限もあります。予定が合わせられなかったり、連絡が取れず会えなかったりした人もいました。
Eちゃん自身ももどかしかっただろうし、会えなかった1人である私も本当に後悔しています。病気になる前にもっと会えばよかったと。(これは3年前の友人が亡くなったときに気づいたはずなのに、当時は心のどこかで特殊なケースだと思っていたのかも。これも猛省です。)
「いつでも会える」は間違いだった
10~20代、部活メンバー同士が今より頻繁に会っていたころ。「忙しくて」「子育てが大変で」と、私はあまり集まりに参加しませんでした。会いたくなかったわけではないけれど「声を掛けたらいつでも会えるメンバー」と思っていたんです。
毎年、1人1人の誕生日にLINEでお祝いしあい、年に1度は花見をしたり高校近くの公民館で集まったりする部活メンバー。「会いたいよ」と言えばいつでも会えると思えるような距離感でした。遠方に嫁いだ子もいるけれど、コロナの流行期はzoomで飲み会も開催しました。
そんな環境があって、お互いにまだ30代。元気・健康が当たり前で、いつでも会えるんだと思い込んでしまったんだと思います。でも「元気」は今だけのことで、1週間後は?来月は?来年は?どうなるか誰にもわかりません。「いつでも会える相手」なんて、いないのです。
会いたい人には、会っておく
今回のことをまだ受け止めきれていませんが、とにかく今後は「会いたい人には会っておく」という人生にしなくてはと強く思っています。私の健康もいつまであるかわかりませんし、相手もしかりです。
また、私がスマホ片手に大泣きする様子を心配してくれた子どもたちには、友達をずっと大切にすること、大好きな人にはその気持ちをすぐ伝えることについて話しました。私の反省もこめて。伝わっているといいけれど。
悲しいことでしたが、命があることのありがたさを改めて認識しました。Eちゃんが生きたかったこれからの一日一日を、大事に生きたいと思ったできごとでした。