「物は残る」ということを実感
重い話になりますが、数年前わが家は義母を亡くしました。あまりに急で、残された家族はすぐには事態を飲み込めず右往左往。儀式的なことも落ち着いたころ、寂しく悲しい気持ちの中でも、義父は遺品を片付けなければならないと思ったようでした。
私もですが、よく女性って持ち物が多いといわれていますよね。例えばバッグひとつをとってもさまざまなデザインの物を持っている方もいらっしゃるでしょう。
義母は生前買い物が好きで、私もよくバーゲンに一緒に行ってはあれこれ買っていただいていました。子どもが生まれてからは、服やらおもちゃやらそれこそ山のように。
そんな義母でしたので持ち物も大量。しばらく義父が片付けていましたが、結構な量だったことと処分の仕方に悩む物も出てきたことで、嫁の私にヘルプ要請が。
20年弱同居して本当の娘のように暮らしてきたとはいえ、義母が遺(のこ)した物を嫁の私が片付けて大丈夫かと悩みましたが、遺品を見せられてわかったのです。
このたくさんの物を、夫や息子などの近しい関係の人が片付けるのはつらい作業だろうと。身内であっても、嫁という一歩引いた立場の方がスムーズにやれることもある。お世話になった義母のためだと思い、片付けを引き受けました。
そして同時に、持ち主がいなくなっても、物は変わらずそこにあるという当たり前のことを実感したのでした。たくさんの物を目の前にしてぼうぜんとした私でしたが、はっきりしていることが一つだけあります。
それは、黙って見ていても片付かないということ。腹をくくって仕事のようにやるしかない、と思ったのを覚えています。
一晩考えた遺品を片付けるための手順
やみくもに手を付けると大変だと思い、一晩考えてひねり出した「片付け」の手順。軌道修正しながら、大体次のように進めました。
- 人に差し上げられない物・肌着や靴下など使用済みの肌に触れる物は処分
- アイテム別に分ける(上着だけ、帽子だけなど、まずはアイテムごとに分類)
- アイテム別に分けた物をさらに分別(使えそうな物とそうでない物に)
- 汚れや破れがないかなどを基準に、使えない物は処分
- 使えそうな物をさらに分別(自分が使えるか、形見として差し上げられるか、誰かが使ってくれるかなどを基準に)
上記に当てはまらない物はまとめてリサイクルショップへ。淡々と書いていますが、葛藤もありました。
捨てるにはしのびないからとリサイクルショップに持ち込みましたが、それも心が痛みましたし、捨てるのもつらい。
ですが、この経験が私を本格的に「片付け」に向かわせることになったのです。わが子にはこんな思いをさせたくないなと。
「片付け」は永遠に続く
遺品の「片付け」を通して、今後は私物を片付けると決めた私。私の私物でわが子の時間を奪いたくないのです。
多分「片付け」に終わりはなくて。日々持ち物は増えていくし、きっと永遠に続くでしょう。しかし、家族のために片付け続けたい。重い腰があがらない時、自分の物を処分する家族のことを想像してみることも、一つのきっかけになるかもしれませんね。