母の死後、ほのかは無職の妹・まなと頑固な父の板挟みに。父はまなに家事を託すが、拒否され、家は荒れる一方…。2人の間に静かに溝が広がり、ほのかは崩壊を予感していました――。
私の家族が崩壊し始める
「人生って、なんでこんなに理不尽なんだろうね」
そう、誰に言うでもなく呟いたのは、妹との関係が本格的に壊れ始めた、今年の夏の終わりころだった。私はほのか、32歳。都内のメーカーで事務職をしている、ごく普通の女だ。性格はどちらかというと真面目で、昔から父と妹の間に立って調整役をすることが多かった。
私の3歳下の妹、まな。彼女は29歳になるが、大学卒業後まともな職に就かず、ずっと実家でニート生活をしていた。父は昔ながらの昭和頑固男子で、外で働き家計を支えることに誇りを持っている反面、家庭内のこと、特に家事は全て母に任せっきりだった。
母の死
その母が、今年の3月、癌で他界した。父が人前で泣いたのは、私が知る限り、私の結婚式ぐらいだ。その父が、母の遺影の前で声を上げて泣き崩れ、食事も喉を通らないほどに衰弱してしまった。
「こんなことなら、もっと家のことを手伝っておけばよかった」と、悔やむ父の姿は、見ていて辛かった。そんな父は、母亡き後の生活を、ニートだったまなに託した。
「まな、お前が家にいるんだから、食事の準備と掃除ぐらいはやってくれ。お母さんもそう望んでるはずだ」
父にしてみれば、家にいる家族が家事をするのは当然、という認識だったのだろう。しかし、元々自分の部屋すら片付けられないまなに、専業主婦だった母の代わりが務まるわけがない。
誤解してほしくないのは、母は別にスーパー専業主婦なんかじゃなかったということだ。数年前から癌と闘っていた母は、寝ている時間が長く、家事も最低限しかできない状態だった。でも、そういう母に比べても、まなの家事能力も極めて低かった。
母の死後、妹と父の状態が不安
案の定、父の食事はコンビニ弁当が増え、家の中はあっという間に汚れていった。まなも「お母さんはできたのかもしれないけど。私には無理!」と、家事も仕事も拒否し続けた。
結局私は週末に実家に帰り、できる限りの家事を手伝ったが、その場しのぎに過ぎない。父と妹の間には、目に見えない深い溝が静かに広がり始めていた。
「どうか、もめごとに起きませんように」
冷戦状態のような、ぴんと詰めた糸のような、とても危うい状態に感じた2人の状態。もめごとが起きないように願わずにはいられなかったが、当然、こんな状態で家族が平穏でいられるわけがないのである――。
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あとがき:母の死とニートの妹
母が病と闘っていた数年間、家族のバランスは保たれていました。母という「調整役」がいなくなった途端、昭和の頑固な父と、社会性を失った妹の歯車が噛み合わなくなります。
この物語は、「人生って、なんでこんなに理不尽なんだろうね」というほのかの呟きから始まりました。長女として、真面目なほのかは、なんとか家族を繋ぎとめようとしますが、家事一つをめぐる対立は、この後の大きな事件の予兆に過ぎないようです。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています










