31歳の諒子は、過干渉な母の支配に苦しんできた。結婚後も母の干渉は続き、夫・浩二の悪口を言うなど、家庭をかき回すような行動が見られ…。
昔から過保護だった母
私は諒子、31歳です。夫の浩二と、イヤイヤ期真っ盛りの2歳の息子・透哉と暮らしています。私は一人っ子で、実母は昔から過保護なタイプ。私の生活のすべてを把握していないと気が済まない人でした。進路も、服の好みも、友達付き合いもすべて「お母さんに教えて」というタイプの親です。
とにかくすべてを管理される実家での暮らしはまさに「籠の中の鳥」。26歳で浩二と結婚した時、ようやくその「籠」から出られると思ったんです。でも、母の干渉は結婚程度で収まることはありませんでした。
何かと夫を否定する母
結婚後は小さなアパートで暮らしていたのですが、母はたびたびそのアパートを訪れてきます。私が好きだったお菓子や飲み物を持ってきてくれるのはうれしかったのですが、それを飲み食いしながら話すのは、もっぱら仕事に出ている夫のこと。
「浩二さんの仕事、本当に将来性あるの? もっと安定した収入が得られる資格の試験とか受けさせた方がいいわよ」
「転職したばかりなんでしょ?必死に働いてもらわないと困るわ。安月給で諒子が苦労するのは見てられない!」
母は、浩二を「頼りない男」として値踏みし続けているようです。
それでも、透哉が生まれてからは、孫の世話を進んで買って出る母の姿に「やっぱり助かるな」と甘えてしまった部分もありました。干渉も基本的には、親の愛情だろうと思っていたのです。
母の都合に振り回されるように…
ところが、透哉が1歳を過ぎたころ、母は急に「孫のお迎えに行くのはもう無理」と言い出しました。そのころは私も職場復帰していて、母が「しっかり働くのが子どものため」というので、保育園の送迎を母に任せてフルタイム勤務していたのです。母が「無理」と言い出すなんて、寝耳に水でした。
聞けば、自転車での送迎をしていたものの、透哉の体が大きくなってバランスが取れないとのこと。歩いてもいけない距離ではありませんが、母からすれば遠いのかもしれません。また、母は車の免許がありません。
いろいろ思うところはあるものの、60歳を過ぎて孫の送迎というのも大変なのだろうと思いなおし、私と浩二は必死に働き方を調整しました。結果、浩二も一部時短勤務を取り入れるなどして、なんとか送迎を夫婦で回せるようにしたのですが…。
「浩二さんが時短勤務?それでキャリアは大丈夫なの?まったく、職場が保育園から遠すぎるのよね。もう少し考えて転職すればよかったのに」
元はと言えば、母が「孫の面倒は見るからしっかり稼いでちょうだい」と言うので、夫も私もフルタイムにしていたのに。あたかも私や夫が後先を考えていなかったような言い方にイライラしました。
このように私の家庭に首を突っ込んではかき回していた実母ですが、このあとさらに大きなトラブルが起きてしまうのです。
🔴【続きを読む】「孫の面倒見たい」二世帯住宅を求める母→同居してハマった【愚痴地獄】|実母との同居トラブル
あとがき:愛という名の見えない鎖
幼いころから「あなたのため」という言葉で選択肢を奪われてきた諒子の孤独が、ひしひしと伝わります。結婚して物理的な距離を置いても、精神的な境界線を軽々と越えてくる母親の存在は、まさに逃げ場のない籠のようです。
夫の努力さえも否定する母の態度は、娘への愛情ではなく「所有欲」の表れ。読者の皆様も、親との距離感にモヤモヤした経験があるのではないでしょうか。この息苦しさがどう変化していくのか、目が離せません。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています










