待望の第一子を妊娠・出産
私が初めて妊娠したのは、夫がまだ彼氏だった頃、そしてそのときお腹に宿った命は残念ながらお空に還ってしまいました。
そこから私の不妊治療が始まりました。
不妊治療4年目に授かった命
- タイミング法
- クロミッドの服用
- HCG注射
- HMG注射
- 人工授精
さまざまな治療をし、何度も妊娠するものの出産には至らず、初めて出産できたのは不妊治療を初めてから約4年後でした。
夫婦で愛情を傾けた息子
長年待ち望んだ息子。実家は遠いので里帰りせずに出産し、分娩には夫も立ち会ってくれて、産後は夫なりに頑張って育児に協力してくれました。
不妊治療していることは職場の人にも知らせてあったので、上長は自分のことのように喜んでくれて、円満に産休・育休を取得できました。
愛情深く成長した息子
初めての育児は、私がもともと妊娠中に不眠症になったこともあり、睡眠不足が負担ではなく、ただただ幸せな毎日でした。
息子が1歳半になった時に保育園に預けてからも、育児と仕事・家事をなんとか頑張りました。
私や夫の実家は遠方だったので年に数回しか会えませんが可愛がってもらえていて、近所で知り合ったおじいちゃんやおばあちゃんからも愛情を傾けてもらい、保育園でもお友達や先生方に好かれ、とても素直に育ちました。
私たち夫婦は年甲斐もなく日々小さなことでケンカすることが多かったですが、息子が話せるようになってからは、ケンカの間に割って入ってくるので、夫婦ケンカも大きな問題になることなく、毎日穏やかに過ごせていました。
2人目の妊娠。
息子が2歳になってから2人目を考えた私たち。2人目は幸運なことに治療を始める前に妊娠できました。
息子になんて話そうか?早く話すと保育園で話してしまうかもしれない。流産を繰り返した私にとっては、まだ病院に行く前だったので、安定期はまだ先だし、内緒にしておきたかったけれど、息子には早い段階で話しました。
「ママのおなかに赤ちゃんが来てくれたよ」
「あなたに弟か妹ができて、あなたはお兄ちゃんになるんだよ」
お兄ちゃんになるということ
息子は、お兄ちゃんになることをよく理解できていないようでしたが、「これはうれしいことだよ、家族が増えるんだよ」と伝えて、なんとなく嬉しそうにしていました。
私たち夫婦は息子が寂しい思いをしないように、妊娠中も、産後も、下の子よりも息子を優先しようと決めました。
私たちが注いだ愛情を息子が下の子に注いでくれることを願って。
分娩する病院選び
妊娠が分かり、出産する病院を探し始めました。
里帰りするつもりはなかったので、まずは自宅から近い、息子を出産した病院に電話したところ「上のお子さんと一緒に入院できますが、分娩にはご主人しか立ち会えません」と言われました。
それなら、私が出産するときに夫と息子は分娩室の外で待たなければいけないのか?私は医師と助産師と3人で出産の瞬間を迎えるのか…そもそも産まれてから病院に来てもらうようにするのか?
さすがに寂しい!と思い、息子も立ち会える病院を探しました。私の自宅から通える範囲内だと、1箇所しかありませんでしたが無事に見つかり、通院し始めました。
妊娠中、支えてくれた息子
臨月に入っても体調不良が続き、毎日決まった時間に食事することができない私。家族と一緒に食卓を囲むけど、一口のご飯と一口のお味噌汁がやっとの日もありました。
私が食べ進められないと「お腹痛いの?食べさせてあげるよ」と口に運んでくれ、気合いで食べられるときも多かったけれど、それでもどうしても食べられないと「じゃあ、あとこれだけ頑張ってごちそうさまして良いよ」と励ましてくれる息子。
吐き気がするのでトイレに行く頻度が高く、仕事で疲れた夫に「トイレが汚くなる」と言われ、あやうく離婚の危機に瀕しそうな時もありましたが、私のイライラが爆発する前に「トイレきれいでしょ!パパ悪いよねー?」と言ってくれた息子に、感謝する私と謝る夫。
腰痛で苦しむ私の腰を「マッサージしてくれる(してあげる、の意味)!」と言って全体重をかけて乗ってくれたこともあります。その時は却かえって痛みが増しましたが、気持ちがとても嬉しかったです。
いよいよ出産!そのとき息子は…
出産予定日の翌日の夜、夫と息子が寝てから鈍い腹痛に気づきました。
「陣痛だ!」と気づき、寝ている夫に「もしかしたら朝までに病院に行くかもしれないので、そのときは起きて連れて行ってね」と伝え、痛みを感じながら横になりました。
間隔は短くなってきて痛みも増したので、朝早く病院に移動。
「お産が始まりましたね!今日中には産まれると思います」と言われ、ドキドキしながら病室で夫と息子と過ごし、スクワットをして過ごしました。
「痛いけどまだ我慢できるなー」と話しながら出されたお昼ご飯を食べているときに、ふと異変に気付く私。あれ?痛くない…?
助産師さんを呼んでNSTという機械をつけてみてもらうと、やっぱり陣痛は消えた様子。「ひとまず今日は帰宅頂いても大丈夫ですよ」と言われました。
おさまった陣痛。病室で呆然とする私たち家族
「夫と相談しますので少し時間をください」と助産師さんに伝え、助産師さんがいなくなった病室で「どうしよう」ばかり呟く私たち。
息子も「赤ちゃんいつ出てくるの?困ったねぇ」と言い出しました。
夫に仕事を休んでもらい、息子にも保育園を休ませた金曜日のお昼です。陣痛が収まったなんて、どうしたら良いのか、と混乱し、半ば使命感のように「今日中に産まなきゃ!」と焦り、助産師さんのところに行って聞きました。
「どうしたら今日中に産まれますか?」返事はもちろん、「こればかりは赤ちゃんのタイミングですし、促進剤を使う場合は月曜日に入院して頂くことになります」とのこと。
病室に戻り、夫と息子に助産師さんから言われたことをそのまま説明。夫も呆然とし、帰ろうか、と言われ、まだ悩む私。
産むという使命を果たすべく葛藤と2回目の本陣痛。
再度助産師さんのところに行き「陣痛が来るようにするにはどうしたら良いですか?」と聞くと、お腹と腰を温めるのが良いと聞き、シャワーをお借りしました。
シャワー室のカギを返しに行くと、別の助産師さんが出勤していて「部屋にあるマッサージチェアも陣痛促進になりますよ」とのこと。
部屋に戻ると、大の字で私用のベッドに寝る夫と息子。一人起きている私はシャワーの効果か鈍い痛みを再び感じながら、夫と息子のいびきを聞きながらマッサージチェアに座り、15分経ったら院内を大股&早歩きで10分散歩。
部屋に戻り、妊娠中に通ったマタニティベリーダンスをしていると、急に強い痛みに襲われました。
いよいよだ!と夫に起きるように声をかけましたが、起きず。普段はお昼寝からすんなり起きる息子も起きず。すでに動くのは辛かったので、マッサージチェアに座り耐えようとしてももう耐えられず、座ったまま手元にあったクッションや入院バッグを夫の足めがけて投げる。
が、起きず、痛みで涙が出てきていたら、出勤してきた夜勤の助産師さんが挨拶に来てくれて、私の異変に気づき、夫を起こして分娩室に移動しました。
やっと会える!分娩が迫り、まさかの展開に
分娩室に入り、血圧計を取り付けると、妊娠中も低血圧だった私の血圧が、なんと200に迫っていました。ボーっと血圧計を見ながら「妊娠中は血圧が上がるのか」と考えながら痛みが堪えられず、涙ばかり出る私。
助産師さんの目を盗んで、枕元にいそいそとビデオカメラを設置して隠し撮りを始める夫。おもちゃの電車を持って、初めて見る分娩室を全速力で駆け抜ける息子。そして、血圧上昇に焦る助産師さんと看護師さん。
「お母さん、意識が途切れないようにずっと話しててください!」と私に声をかける助産師さんに対し「痛いので無理です」と答える私。
「お母さん、泣くと疲れちゃうので、ちょっと我慢してください」と言う助産師さんと「無理です、耐えられません」と答える私。
痛みが強く、もう意識飛ばして寝てる間に引っ張り出してもらった方が楽じゃないかと思ったときに、息子が枕元に来てくれました。
「ママがんばって。これあげるね」と枕元に置いてくれた電車。ここでありがとうと言わなきゃ!と思いながら言えずに痛みでジタバタしていると、電車のおもちゃが頭の下に転がってきて、これも地味に痛い。
陣痛に比べたらかなりマシだけど、それでも痛い。かといって頭を使って下に落として子どものおもちゃを壊すわけにもいかず、息子がいる前でおもちゃのせいで痛みがあるとも言えず、陣痛の痛みと頭の痛みに苦しむ私。
「頭が見えました!もう少しですよ!」という助産師さんの言葉にも、耐えられない痛みと頭の下の鈍痛でイライラして無視しながら泣く私。
すると、息子が小さい脚立のようなものを運んで、また私の顔のところに来てくれました。「頭見えてるから、もう泣かなくて良いよ。」とティッシュのようなもので涙を拭いてくれる息子。
ありがとうすら言えずに泣いてばかりの情けないママでごめんね、と思いながら痛みに耐えられず、痛い痛いと叫んでしまう私。
「頑張って!もうちょっとだよ!」と応援してくれる息子に感動し、「もうちょっと頑張れば出て来るよ!」と言う夫になぜかイライラして汚い言葉が脳裏をよぎる私。
生まれた!生まれてきてくれてありがとう、の言葉の前に
2人目の出産、産まれてきた子は灰色で泣き声も聞こえず、一瞬で平静に戻りました。息子が「ママ!産まれたよ!女の子だって!」と言う声にも返事ができませんでした。
看護師さんは「お母さんの血圧が下がりません」と混乱していましたが、その声も遠くで聞こえるほど一言も話せない私たち夫婦…。
助産師さんは驚く様子もなく冷静に背中をさすっていて、ようやく小さな産声が聞こえたけれども、息子が産まれたときとも違う灰色の赤ちゃんを私はどう受け止めたら良いのか、と混乱していました。
そのとき息子が「赤ちゃんちっちゃいね、可愛いね、白いね」と言ったことは、今でも忘れません。
助産師さんが「これはタイシですよ。予定日超過で見られるのは珍しいけど、これがあると赤ちゃんはお腹の中の居心地が良くなるんだよ」と言ったときに、私もようやく少し冷静になれた気がします。
息子が支えてくれた出産
分娩中も産後も息子のおかげでどこか冷静になれたり、笑ってしまったりと多少なりともリラックスできたけれど、息子がしてくれたことはもっと大きなことでした。
分娩時緊急高血圧症のリスク
出産した翌日に助産師さんと院長先生が病室に来て分娩の経過について説明してくれました。
本来、妊娠中は血圧が少し上がる傾向にあるが、私は血圧が多少上がったものの低いままでした。そこから急に血圧が通常時の倍まで上がったことで、命の危険があったことを知らされました。
赤ちゃんが産道を下りる前に血圧が下がれば緊急帝王切開で母子ともに高い確率で無事に生まれるそうです。しかし私のようにお産がだいぶ進んで、もう産まれそうなときに血圧が上がると、私の意識がなくなった場合には赤ちゃんを自力で産むことができなくなってしまうらしいのです。
その場合は産道を切って赤ちゃんを助ける必要がありますが、陣痛開始から分娩までの時間が短かったために、私の体には大きな負担がかかって出血多量となっていました。
そこで更に手術となっていた場合、赤ちゃんは無事に取り上げられても私には命の危険があったそうです。
気づかないうちに支えてくれていた息子
院長先生は「意識を失わないでいてくれて良かった。お母さんよく頑張りましたね」と言ってくれて、私はやっと気づきました。
分娩中に息子が話しかけたり、私の頭のところに電車を置いてくれたことで、私はイライラしながらも意識を失わずにお産を終わらせられて、母子ともに無事でした。
まだ3歳になるかどうかの息子が子どもなりに私を励まそうと頑張ってくれたことにイライラしてしまうような情けない母親だけど、息子は献身的にずっとそばにいてくれました。
産後も支えてくれた息子
人生で初めての高血圧を経験し、退院後も薬を処方され、1ヶ月健診までに4度通院して血圧の管理をされました。
血圧計を購入し、自宅でも血圧を測り、高いときには薬を飲んで抑えますが、その薬が苦く、飲むたびにイライラしたりもしました。
それでも息子が「ママが好き(だ)から!」と毎日愛情を注いでくれたおかげで、私の心も落ち着いてきました。
息子がムードメーカー
まだ3歳、気分のムラもある息子ですが、息子が笑うとみんなが笑い、息子が泣くと、みんな息子の周りに集まって慰めています。
これからも小さな体と大きな存在感で我が家を支えてくれるだろう息子の優しさに感謝しながら、時にはケンカしながら、毎日を大切にしていこうと思います。