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1人で登校できない日々。その理由は…
現在、小学6年生の息子。低学年のころは学校に行けないことが多くありました。いわゆる「見た目は普通」の息子。
保育園のころは、誰にでも近寄って行くくらいの勢いがありましたが、「人」「他人」「自分」を認識するようになると、だんだんと1人で登校できなくなっていったのです。
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「人」が怖い?私は最初「いじめられているのか?」と思っていたのですが、息子の中の「怖い」は、それ以前の問題でした。「人の存在自体が」怖かったのです。
親として日々を把握するためにしてきたこと
息子は自分の思いを言葉にして伝えることが、当時はとても難しく、苦手でした。私自身、息子の困り感や不安を常に把握しておくために、就寝時にあることをしていました。
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就寝時に眠りにつくまで、息子と話をする時間を毎日設けていました。楽しかったこと、うれしかったこと、悔しかったこと。その日の中で、息子がどんなことを感じ、何に不安を感じているかを知りたかったからです。
「人が怖い」息子に見える外の世界
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この言葉を聞いて、私たち親が考えている以上に、息子は「外の世界」から大きな刺激を受けているんだと教えられました。
道行く人が怖い。たくさんの知らない人が歩いているのが怖い。不安…。常に気を張っている状況なんだと知ったのです。
「できることをできるだけ」それでいい
そこから家族で息子への「寄り添い、朝の登校時間」が始まります。
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この当時は、とにかく家族でどうにかしていこうと取り組んだ大切な時期。
学校の近くまで車で送ったり、学校の近くまで毎朝一緒に登校したりました。この毎朝の登校は、パパが「何か月」と息子に付き添ってくれました。晴れの日も、雨の日も、雪の日も。息子と共に歩いて登校しました。
子どものつらさって、実は親の私たちは完全にわかってあげることはできません。息子の感じ方や捉え方も、私たち親は理解することはできません。それは障害があるなしに関わらず、「相手の全てを知る」ことは誰もができないからです。
だからこそ、私たち親ができることは「わが子への寄り添い」そして「苦しみをどう減らしてくか」の方法を一緒に考えていくことではないでしょうか。
そして、私が一番大切にしていることは、息子自身が困ったときに「助けて」とヘルプを出せる関係性でいるということです。この先、社会に出ていく息子が1人で抱え込まぬよう、本当に助けを必要とした時、何か困っている時にヘルプを出せる親でいたいと思っています。