31歳のあすかは実母と絶縁を決意。でき婚を責められ、「感謝がない」と非難され続け、常に母の顔色を伺ってきた。母を「重荷」と感じながら、息苦しい関係に限界を迎え、離れる道を選ぶ。
私が「絶縁」を選ぶまで
私はあすかといいます。31歳で、夫の俊と、3歳になる長男の壮太との3人暮らしをしているごく普通の母です。実は今、人生で一番大きな決断を下したところ。
それは「実母とは会わない」という決断。
正確に「縁を切る」手続きをしたわけじゃない。でも、事実上、絶縁状態になりました。向こうから「もう会いたくない」って言われたのがきっかけですが、私も限界だったのです。
「私が悪いんだろうか」そんな自問自答をしてしまうできごとでした。
授かり婚だった私たち
俊との結婚のときから、実はひと悶着ありました。授かり婚で、結婚式も挙げてないのです。実母は、ずっとそのことをチクチク言っていました。
「あんたは順序が違う」
「世間体が悪くて参っちゃう」
母は、私が親に対して感謝の言葉を毎日言わないことも責めました。確かに母は育児のサポートもしてくれるし、なかなか仕事が見つからない私に、自営業の仕事を提供して給料も払ってくれるので感謝しています。でも、そんなに毎日心から感謝の言葉を言えるほどの余裕がないときだってあるし、イライラした態度を取ってしまったこともあります。そういうところは、きっと私は「悪い娘」なのでしょうね。
でもね、そうやって反抗的な態度を取ったあと、必ず後悔していました。そして、次は怒らせないようにって、母の顔色を伺って接する日々が続きます。母の機嫌が良いときはホッとして、悪いときは胃がキリキリするのです。
ずっと、そんな関係だった。俊は「自分のお母さんなんだから、そこまで気にしなくていい」って言ってくれるけど、母の持つ力は、私にとってそれほど絶大なのです。
ずっと耐えてきた息苦しさ
母は、私の「敵」というよりは、むしろ「重荷」に近い存在だったかもしれません。
思えばいつも幼少期から、母の期待に応えなきゃ、母を喜ばせなきゃって、息苦しかった気がします。私が31歳になっても、この関係は変わりません。母から「あなたは何もわからない子」「私が助けてやらなかったらどうなっていたか…」と言われ続け、すっかり自信をなくしてしまっていたのです。
でも、この息苦しさは「耐えるべきもの」と思っていました。確かに母に支えられている部分は大きいし、母は孫の壮太のことは本当にかわいがってくれていると思っています。いわゆる「毒親」にあたるかといったら違うと、自分に言い聞かせていました。
でも、この気持ちが崩れ落ちて「母とは縁を切りたい」と思うようなできごとが、ある日起きてしまったのです―――。
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あとがき:「重荷」からの解放へ
「私が悪い娘なのか?」と思いながら、母との絶縁を決めた主人公。
長年、母の期待に応えようと自分を押し殺してきたあすかさんの姿は、多くの女性が抱える親との葛藤を象徴しているでしょう。親子の関係は感謝だけで成り立つものではなく、一方的な価値観の押し付けは、やがて心を蝕む「毒」になります。縁を切る決断はマイナスなものではなく、自身の人生を取り戻し、愛する家族を守るための、勇気ある最初の一歩なのかもしれません。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています










