日本が抱えている貧困問題とは?
現代日本を貧困とは無縁を感じている人もいるかもしれません。
しかし内閣府・総務省・厚生労働省による平成27年に公表された「相対的貧困率等に関する調査分析結果について」によれば、国民の1割以上が相対的にみて貧困状態にあるとされます。
日本における貧困の実態と、今回は私が見聞きしたことについて書かせていただきます。
- 厚生労働省「相対的貧困率等に関する調査分析結果について」厚生労働省(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/soshiki/toukei/dl/tp151218-01_1.pdf)
貧困率とは?基準はどれくらい?
相対的貧困率とは一定基準を下回る収入しかない人の割合です。一定基準は次のように決められています。
等価可処分所得(世帯の可処分所得(収入から税金・社会
保険料等を除いたいわゆる手取り収入)を世帯人員の平方根で割って調整
した所得)の中央値の半分の額をいいます。 出典: www.mhlw.go.jp
子供も含めた国民一人当たりの収入のおよそ半分が、貧困線という基準値となっています。この相対的貧困率が2009年に総務省が行った「全国消費実態調査」においては10.1%、2012年に厚生労働省が行った「国民生活基礎調査」においては16.1%となっています。
どちらの調査の数字を見ても、国民のおおむね10人に1人は貧困状態にあるということが分かります。
またどちらの調査においても、大人1人と子供の世帯、つまり、ひとり親世帯においては5割以上が貧困だという結果があります。
- 厚生労働省「相対的貧困率等に関する調査分析結果について」厚生労働省(http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/20-21a-01.pdf)
私の周りで起きた貧困問題の弊害
10人に1人という決して珍しくない貧困の問題。私が実際に体験した息子の学校での問題と、友人から聞いた深刻な悩みをご紹介します。
大人だけでなく、子供にとっても辛い状況である貧困ですが、子供の力ではどうにもなりません。親として何ができるかを考えるきっけになれば幸いです。
私の体験談:ガラスの心の子供達
長男はある私立学校に通っていました。そこは養護施設が同じ敷地内にある学校で、その施設の子たちも同じクラスに通っていたのです。
施設の子は同じクラス内に3割ほどいました。子供同士は特に気にすることなく、楽しくつきあっていましたが、親としては心配でもありました。というのも、入学時、発達障がいでかっとなると暴言、暴力が出てしまう息子に対して、校長先生から厳重なお言葉を頂いていたからです。
「施設の子は心がガラスのようになっています。気を付けてください。子供達が傷つかないように。暴力、暴言は許しません」当然だと思いました。ですから、あの3年間、私は毎日、息子が何もしないよう、祈るようでした。
施設の子の普通家庭の子に対する嫉妬などがあったのでしょう、いじめ問題も頻発しました。幸い息子はいじめには関わることなく3年間を過ごしましたが、中には転校する子もいました。
考えてみれば、そこにも貧困の問題があったのだろうと考えられます。そもそも、親が育てられなくて施設に入っている子もいるのです。
そのような子たちと一緒ということで私は何やら申し訳ない気持ちにもなりました。心配で頻繁に息子の様子を見に学校に行っていた私。彼らはどんな思いで、親が頻繁に来る私の息子を見ていたでしょうか…。考えると胸が痛みます。
友人の体験談:嫉妬といじめ
息子の学校のことを紹介しましたが県立の養護学校でも似たようなことがあるそうです。これは知り合いに聞いた話です。
その子は軽い障がいで養護学校に通っています。そこには施設から通っている子供達がいます。知り合いの子は裕福な家の子でピアノを習っています。なかなかの腕前で歌の伴奏を引き受けたりしていました。先生方からも一目おかれるほどで、本人もお母様も喜んでいました。
しかし、そんな彼に対して施設の子からのいじめがあったそうです。「ピアノをやめろ」と責められ、その子は登校を渋るようになってしまいました。幸い、先生が中に入り、いじめはおさまりましたが、ここにもまた貧困の問題が見えるのではないかと私は感じました。
いじめた子はただ、ピアノを習う家庭に育っている子がうらやましかったのではないでしょうか。
貧困問題は社会全体で解決を
貧困は、子供たちにも大きく影響する問題です。
悲しいことですが、子供を育てる経済力も中絶する資金もなかった場合「我が子を捨てる」という選択をする親がいます。親にとっても辛い選択であり、子供にもどうすることもできません。
貧困であるが故にいじめられる子供もいるかもしれません。しかし貧困によって心に不満を抱いて他者へ攻撃的になる子供もいるのではないかと思います。
こうした貧困問題には、社会全体で取り組み、解決への道を模索したいところだと私は感じました。