「お星様になったんだよ」の意味を理解する時
そもそも、子供はいつから「死」というものを意識するのでしょうか。よく、小さい子供が口にする言葉に、「お星様になった」というフレーズがありますよね。
飼っていた金魚が死んでしまった、大好きだったおじいちゃんが亡くなった…身近にいる大切な命が天に召される時など、子供に死を教えるシチュエーションで、この言葉を使うママやパパは多いのではないでしょうか。
お星様になった。とても素敵な言葉ですよね。しかし、当然の事ながら、人はお星様にはなる事はありません。ではなぜ、親は子供にそう教えるのか。それは、まだ子供の小さな心には「死」を理解させるには早い、そう思うからですよね。
しかし、子供は思っている以上に大人で、実は、「死」という意味をなんとなく理解していると私は思います。お星様にはならない、そう気付く瞬間が、早かれ遅かれ、必ずやってくるのです。
なぜ私は、4歳の娘に「死」について話したか
「死」に対しての考え方は、人それぞれ異なります。私の場合、少し変わっているかもしれません。というのも、私自身の人生において、人の「死」というものは、とても特別なものだったからです。
最初は少しふざけた話なのですが、私は小さい頃から、人には見えないものが見えるという変わった子でした。それが日常だった私は、それを普通の事だと思っていました。しかしある日、それは私にだけ見えているもので、決して普通ではなかった事に気付きました。私が「死」を意識したのは、それがきっかけだったように思います。
大切な人達の死、そして死と向き合う仕事
私が生きてきた35年間は、おそらく普通の人より、「死」というものを意識した回数が多いように思います。それは先に紹介した、不思議な経験を繰り返していた事も理由の一つですが、大切な人達の死が一番大きな理由です。
クラスメイトの事故死、自殺、事件、病気で生きる事が叶わなかった友人。とても暗い話になってしまいましたが、どれも私の身近で起きた悲しい、忘れられない出来事です。人の死は、本当に突然やってきます。そして、人は亡くなったらそこで終わりなんです。
そして、私には、それは決して他人事ではない、と強く思いながら過ごしていた時期があります。航空会社で働いていた時の事です。何が起こるか分からない、自分の命よりもお客様の命を守る事が仕事であったあの頃、同期、先輩を含むメンバーは、日々遺書を持って乗務をしていました。
「死」を考える事は「生きる」の教育
「死」はとても悲しい事です。しかし、残された人が、そこから必ず学ぶものもあります。それは「生きる」という事です。
「死」に直面した時は、確かにショックだし、悲しいです。でも、今自分の命がある事、今流れている時間がこんなにも貴重である事、目の前に大切な人がいる事が、こんなにも幸せであるという事、たくさんの「生きる意味」に気付く事が出来ます。
私は子供に何を教えたいだろう。もし、私がいなくなったら…何を伝えたいだろう。私は、「生きる意味」を子供に教えたい。そのために、まずは「死」について一緒に考えたい、そう思いました。
「ママもいつか死ぬの?」「いつかはね。」
娘からの質問にこう答えた時の彼女の顔を、私は今でも忘れません。そして、その後にかわした会話の事も。私は、一番伝えたかった「生きる意味」について話をしました。
- 命は終わるという事
- 生きている事は、それだけで幸せであるという事
- 時間を大切にする事
- 感謝する事
- 大切な人には、言葉で大切だと伝える事
朝起きてご飯を食べ、着替えをして保育園へ行く。ご飯を食べてお友だちと遊んだら、ママがお迎えに来る。お家に帰ってお絵描きをして、妹と遊んでご飯が出来るのを待つ。今日あった事を楽しくお話しながらご飯を食べる。
少し遊んでお風呂に入り、髪の毛を乾かしながら絵本を読む。歯磨きをしてうがいをしてお布団に入る。普段当たり前のように過ごしているその時間が、とても貴重である事、何事にも終わりがあるからこそ、始まりからその時までずっと大切にしなければならない事、ママにもいつかその日が訪れる事。娘に伝えたい生きる意味を、私なりの言葉で伝えました。
大丈夫!ママは、自分の命を大切にしているからね
とは言っても、4歳になったばかりの娘を、ただ不安にさせるような事はしたくありませんでした。ぎゅっと抱きしめて、明るい声でニコニコ笑顔で続けました。
「でも大丈夫!ママは、自分の命を大切にしているからね。」
決して嘘ではない言葉、生きるという意味をきちんと伝えられる言葉、一瞬迷いましたが、私はこの言葉を選びました。その時、それまで黙っていた娘が、ニコッと笑い、こう言いました。
「ママ、ありがとう。○○ちゃんは、ママの事信じてるから。」
「死」を教える事は、「生きていく」を伝える事
人によっては、まだ早すぎるからと、子供に「死」を教えるという事に対し、とまどいや抵抗を持つ方もいるかと思います。しかし、私自身はあの時娘に話をして良かったと思っています。
もうすぐ6歳になる娘は、テレビで流れる悲しいニュースや、戦争や貧困のニュースに、「命を大切にしなきゃいけないのにね」「時間を大切に」など、あの時話した事をきちんと自分なりに理解してくれているように思います。
出産をし、自分自身の命よりも娘たちの命の方が大切だと思うようになりました。しかし、娘たちにとって、また私の両親や主人、家族にとっては、私自身の命も、当然の事ながらとても大切なのです。
「死」を教える事は、「生きていく」を伝える事。いつか、娘たちがママになった時、あの日の事を思い出してくれたらいいなと思っています。