母の介護をする小学生女子「しっかり者」の現実
今回の第5話は「ヤングケアラー」について。昨今、注目されて記事やテレビでも見かけるようになったと感じます。「ヤングケアラー」とは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どものこと。ドラマでは、小学6年生の茜(あかね)ちゃんが、ヤングケアラーとして登場しました。
茜ちゃんは、お母さんの介護をしながら学校生活を送っています。母が元気なころは成績優秀でしたが、母親の介護をきっかけに、自分のことや、勉強にも身が入らない状況に。いったんは支援会議で先生たちが茜ちゃんについて話す機会がありましたが、茜ちゃんが「しっかりした子」ということから、あまり心配されていないことがうかがえました。
茜ちゃん自身も当初自分の状況を「大丈夫」と繰り返します。母親のことは自分が頑張らなくてはと考え、人に助けを求めることができなかったようです。そんな茜ちゃんに対し、臨床心理士でスクールカウンセラーも務める向山先生は、少しずつ心を開けるようにアプローチ。自らもヤングケアラーだった経験を胸に寄り添います。そして、体調を崩すほどに限界を迎えていた茜ちゃんは、向山さんに助けを求め、必要な支援にたどり着くことができました。
視聴者としては、向山先生の諦めない心が、茜ちゃんを救ったと感じました。
- 厚生労働省「ヤングケアラーについて」(https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html,2023年2月22日最終閲覧)
家族のケアは、家族がして当たり前?
「私が頑張らなきゃ」この思いは家族間でよくあるのではないかと思います。私も息子の障害がわかったとき「私がどうにかしなきゃ」「私がこの子を守らなきゃ」という思いを抱えました。ドラマに登場した茜ちゃんは、まだ小学6年生。作中で「小さな世界で完結。伝える事もできない」と表現されている通り、立派に見えてもやはりまだ子ども。大変な介護について頼れる先も知らなければ、頼り方も知りません。結果「自分がやるしかない」と考えるしかなくなってしまうのです。
家族のケアは、家族だけがするものではありません。頼れる先は頼ればいいし、家族のケアとは切り離して、自分の人生も大切にしていいのです。そこに気づくためにも「自分の状況を話せる人」そして「あなたも自由に夢を見ていいと言ってくれる人」が、茜ちゃんのようなヤングケアラーには必要なのではないかと思います。
私自身、発達障害のある子を育て始めて12年たってやっと「この子にはこの子の人生が、私には私の人生がある」と考えられるようになりました。こうなるまでには多くの葛藤や苦悩がありましたが、親子でも相手と自分を切り離して考えることは必要だと改めて思っています。
福祉の「申請主義」も課題に
また、作中では「福祉は申請主義」「何をどう利用できるのか知らない人が多い」という問題も取り上げられました。
実際、発達障害のある子の育児支援などについて、私も知らなかったことがたくさんありました。中には知らずに支援を受けられないまま終わってしまったことも。本当に誰も教えてくれないんです。病院も役所も、聞かない限り教えてくれませんでした。これが現実という悲しさ、悔しさを感じたことがある方はいると思います。
ヤングケアラーならなおさら、役所で話を聞くなんてできませんよね。大人が手を差し伸べ、こうした支援につながれるところまで並走してあげることが必要なのだと感じるシーンでした。
「大丈夫かな」と気づき、行動するきっかけに
作中にあった「気づいてるのに気づかないふりをしている大人が多すぎる」というセリフ。視聴した方はどう思いましたか。気になる子どもがいても、周りの意見に流されたり、関わりを避けたり、少し知ったのに深掘りはしなかったり。思い当たる節がある方もいるかもしれません。
思春期はとても敏感で大切な時期。介護などで学校に行けずに孤立したり、中途半端に現状を知った人にうわさ話をされてしまったりするのはつらいことですよね。私は介護士歴20年ですが、介護のつらさがよくわかります。きれいごとでは片づけられないほど、家族にとってつらいことです。
作中では向山先生が力になってくれましたが、現実でもスクールカウンセラーや臨床心理士がヤングケアラーとつながり、茜ちゃんのように現状を変えられるとよいと思いました。そしてそこにつながるまでには周囲の大人が子どもの変化に気づき、一声かけることがまず大切なのではないでしょうか。
ドラマをきっかけに、今は近くにヤングケアラーがいない方でも「もしかしたらこんな子がいるかも」と、興味を持つきっかけになるといいなと感じました。