発達障害のある子どもをのこして亡くなった母
今回のリエゾン第6話のテーマは「グリーフケアとパニック障害」。今回も発達障害児の親の視点からお話します。ドラマに登場する優実(ゆうみ)ちゃんは自閉スペクトラム症の女の子。「聴覚過敏」があり騒音が苦手です。
ドラマでは、弟の亡く声が不快で家を飛び出してしまったことを、父親が佐山先生に相談するシーンがありました。
優実ちゃんの母親は3ヶ月前に交通事故で亡くなってしまい、父親も急に妻を亡くした悲しみから抜け出せていません。優実ちゃんの特性と向き合いながら1人で育児・家事・仕事を担わなくてはいけなくなった父親もまた、心に深い傷を負っていることがわかります。
息子と重なった、優実ちゃんの姿
優実ちゃんの「耳を塞ぐしぐさ」は、広汎性発達障害のある私の息子と重なる部分がありました。息子も大きな音が苦手で、その他にも気を取られ集中力も続かない事から「イヤーマフ」を持ち歩き、学校と自宅で使用していました。しばらくすると学校だけでの使用となり、だんだんと小学校では使用しなくなりました。しかし先日、全校イベントで音が非常に大きく感じたらしく「つらかった」とのこと。中学入学に向け、新しいイヤーマフを購入しようと思っています。また、小学校では使えなかった「ノイズキャンセリング」のイヤホンも購入。使用してみた息子は「すごくいい」とのことでした。
本人が楽になるのであれば、こういったアイテムを使用できるという学校側の配慮も必要だと強く強く感じました。このようなことを少しでも受け入れられたら「本当の意味での優しい世界」になると感じます。前回の『リエゾン』で放送された、学習障害の子の「タブレット受け入れ」もそれですよね。
発達障害を持つ子どもたちはいずれ大人になります。その中で少しでも「自分の生きやすい環境」を知っておくことは大切なはず。自分にとって「何が快で、何が不快」なのかを知り、対処できるようにしたいですよね。
- 看護roo!「グリーフケアとは」(https://www.kango-roo.com/word/103#:~:text=グリーフケア(ぐりーふけあ,あるとされている。,2023年3月6日最終閲覧)
病院との関係性が参考になった
私の身近な方にも「パニック障害」をお持ちの方がいて、その方にこのドラマの感想を聞きました。
作中、佐山先生がお話していた「耐えがたい恐怖を感じた時は、まず一番に『パニック障害では決して死なない』という事を思い出して」というセリフに涙したと話していました。本人にしかわからないつらさを抱え、いつどこで起きるかわからない発作はご本人にとってつらいものです。
一方、精神的な症状をかかえた方に「話をじっくり聞いて欲しい」という本人の思いがあっても、病院によっては難しいのも現状。作中では、大規模の病院、小規模の病院での役割も伝えられていました。実際「どん底まで苦しんだけれど、良い病院、良い先生に巡り会えたことで救われた」という方もいます。反対に、なかなか合う先生に巡り合えない方も。
私自身も、わが子が受診に至るまで時間がかかりましたし、病院の先生との相性も難しいと感じることも多くありました。実際「薬をもらうだけの関係」と割り切っていた時期もあります。
「不安を感じるのに、大人も子どもも関係ない」そう言ってくれる佐山先生のような先生に出会うのは奇跡なのかもしれません。人も言葉も、出会いが大きな影響を与えるのだなと再認識しました。
親が思いを吐き出せる居場所も必要
「親支援」においては私自身もインスタグラムなどで活動をしていますが、実際に吐き出す場所や人を見つける事ができないことがほとんどです。そして、親自身が「吐き出すこと」にブレーキをかけてしまっているという状況もあります。
「こんなこと誰にも相談できない」「誰にも話すことじゃない」「誰もわかってくれない」そんな思いが心を支配します。本当は助けて欲しいとは思っていても、頼ることができない。そんな思いで苦しくなります。だからこそ、作中のクリニックで佐山先生が「お父さんはどうですか?」と心配する一言はとても大切な一言です。そこには保護者に対する「あふれる思い」があるからです。そして、同じ境遇の方との会に招待する気遣いもすてきでしたね。
同じ経験をしている人がいることに救われる。同じ経験で涙している人がいるだけで楽になれる。思いを話せるだけで涙が出る。そんな場所があるだけで、心は救われるはずです。発達障害を持つ子ども・精神的な病気を持つ人を支える家族もまた、支援を必要としている人なのです。
発達障害児を育てる母にとって、身近なドラマ
来週ははいよいよ最終回。今回、ドラマという形で「発達障害」やさまざまな疾患、そこを取り巻く家族が描かれたことは、当事者家族としてとてもありがたいと強く感じています。
全てを「理解して欲しい」とは思いません(個人的意見です)。ただ知ってもらえたら、何かを感じてもらえるきっかけとなったらうれしいなと思っています。また、私のようにインターネットで情報発信をしていても、なかなか当事者家族と出会うのが難しい面も感じます。1人で悩んでいる親御さんもまだまだいらっしゃるでしょう。だからこそ、こういうドラマでも気持ちを汲み取ってくれる時間があることが、ありがたいと感じました。
「普通」「普通じゃない」そのものさしは個々で違うけれど「学校」「社会」へ出ていくと感じる孤独感や劣等感からやはり「普通とはなんですか?」という意味を問わざるを得ない気持ちになります。なかなか理解されづらいつらさに、身近な家族や関係者から寄り添えたら、それぞれが過ごしやすくなると考えます。来週の最終回も、楽しみです。