いま振り返ると、子離れできない兆候…?
第一子は男の子。それはそれは可愛かったです。姑にとっても初孫なので、うんと可愛がってくれました。生まれた時から・・。
退院して、夫の実家に行くことになりました。車に乗って、出発というとき、私の目からは涙が・・・。一緒にいた親戚一同はびっくりしていました。
私の涙のわけ・・。それはわが子を抱けなかったことでした・・。
マタニティブルーだったと思います。産んだばかりのわが子は姑が抱いていました。もちろん可愛かったからです。車に乗るときも姑はわが子を離しませんでした。「返して。私が産んだのに。」と思ったら涙がでてきたわけです。
今では笑い話ですが、それだけ姑は息子を可愛がってくれたわけで、今思えば感謝でいっぱいです。その可愛がりようは今でも継続中です。何しろ今、長男は姑と住んでいるのですから。
障害なんて関係ない。姑と共に可愛がった長男
長男は多動児でした。それでも、姑は可愛がり、何かというと味方をしてくれました。
生まれたばかりの頃は「とられた」と言って泣いていた私ですが、彼が1歳を過ぎた時は預かってもらうことでホッとしていました。「どうぞ。」と差し出すかのように・・。
幼稚園はうまくいかず、園を変えました。その時、味方になってくれたのは姑です。
「こんなかわいい子、私たちが守ってあげなくちゃだめよ。」園長に叱られる私たち親子を姑はいつもこのように励ましてくれました。退園を勧めてくれたのも姑です。「もっとこの子に合ったところに行きなさい。」この言葉が励みでした。
それから、私たちは同志のように手を組み、発達障がいの長男を守ってきたのです。
長男中心の生活
小中高と私は長男中心に子育てをしていたと思います。手厚い私立中、私立高、専門学校とすべて私が決めたようなものでした。
勉強が苦手な彼のために宿題はほとんど、手伝いましたし、多かった友達とのトラブルも私が頭を下げ、解決しました。PTAもやりました。
このように守ってばかりいましたのでいつまでも、彼は私の保護下にいると思い込んでいたのです。
息子が家出…
長男が高校生の時です。彼は家出を繰り返すようになりました。父との確執ですが、何かと世話を焼く私もうっとうしかったのだと思います。
でも、家出といっても彼の場合は徒歩10分の姑宅に行くぐらいでした。最初は、父とのけんかがひどく、私が姑にお願いしたのですが、いつのまにか自ら行くようになり、専門学校に行く頃は一緒に住んでいました。
結局、姑に取られてしまったのです。私の可愛い可愛い最初の子が・・。
助けてもらわなくて大丈夫。僕がおばあちゃんを守るんだ
「家に帰っておいで。」と何度いっても、息子はききません。祖母宅が自分の家になってしまいました。やがて、就職。車を買い、今では祖母宅から車で会社に通う毎日です。
「どうして、ばあばの家がいいの?」と息子に聞いたことがあります。彼はこう答えました。
「ばあばはほっといてくれる。あんたは面倒見すぎるし、親父はうざいし、最悪だったんだ。それに、ばあばは年だから、今度はこっちが守ってやるんだ。あんた、こっちのことはいいからあいつら(弟、妹)を見てやれよ。こっちはあんたに助けてもらわなくても大丈夫。」
いつのまにか、こんなふうに頼もしい青年になっていました。考えてみたらもう、助けてやることはないのです。
彼は専門学校卒業後、自分で探して今の会社に就職。実は私も探してやっていたのですが、何もなりませんでした。車も自分で買いました。このように、なんでも自分でできる子になっていたのです。
子離れは"自分育て"
わが子のように、子供はいつか大人になり、自分の力で歩いていきます。
あんなに心配だった長男でさえ、そうだったのですから、皆様のお子様もいつかきっと、離れていくと思います。背中を押して見守ってあげなければいけないのです。さびしいけれど・・・。
愛する故に、その宿命を母は背負っていかねばなりません。だから、わが子がある程度、大きくなったら自身の趣味や打ち込むことをもつべきだと私は思います。子離れは自分育てでもあるから・・。
小さいお子様を持つ皆様、可愛がれるうちに、たくさん抱っこしてあげて下さい。後悔のないように・・。