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桜が咲くたび思い出す NICUに入った娘とのぼった7つの階段

さまざまな理由があってNICUに入る赤ちゃん。出産は当たり前のことでは決してなくて、命の誕生というのは本当に神秘的で不思議なものです。この記事では私が次女を出産した際に起こった出来事とNICUに入った娘、そして今無事に大きくなってくれている娘に対して思うことを紹介していきたいと思います。子育てをしていると悩むこともあるかもしれませんが、お子さんが生まれたときのことを、一緒にもう一度思い返してみませんか。

NICUに入院していた娘とママの苦悩

この春4才になる娘。今は元気いっぱい走り回るかわいい女の子ですが、娘が生まれた4年前の春、娘は生まれてすぐにNICUへ入りました。

妊娠後期に入った頃、妊婦健診へ行った際「赤ちゃんが小さいな~、前回から大きさが変わっていないよ」と先生に言われました。

第2子だったので長女を産んだ病院で出産する予定でしたが、NICUのある総合病院へ転院することに。転院先の病院で入院を宣告され、私は妊娠34週から入院することになりました。

まだ小さい長女に会えなくなる寂しさ。しかい、小さいながらも、赤ちゃんのためだということをとてもよく分かっていた長女。必死に我慢しておばあちゃんの家に行った姿が、今でも忘れられません。

一緒にいられなくてごめんね…。

入院そして出産

編集部撮影

診断名は「子宮内胎児発育不全」というものでした。子宮内で成長が止まっている可能性があるとのこと、いつ心拍が止まるかわからないことと、子宮中の環境が悪いのであれば出してあげた方がよいからという理由でした。

私は入院してから長女に会いたくて、長女に負担をかけてしまっていることが申し訳なくて、病室のベッドでたくさん泣きました。まだ長女はたったの2歳です。自分の何がいけなかったのだろう…なんでこうなってしまったんだろう…。

初期に出血したのに気にせず仕事に行っていたから?妊娠中期くらいに咳がとまらず、お腹に負担をかけてしまったから?それとも長女と毎日走り回って遊んでいたから?

でもそれはどれも違います。誰も悪くなんかないのです。誰も悪くないから誰も責めてはいけないし自分のことも責めてはいけないのです。

そして予定日より1ヶ月早く、15時間の陣痛を経て生まれた赤ちゃん。分娩直後に「何グラム?」という先生の声が聞こえてきたと思ったら赤ちゃんの産声が!

「泣いた…よかった」という安堵の気持ちに包まれている間に赤ちゃんは私と対面することなくそのままNICUへ。私は「大丈夫かな…」という気持ちを抱きながら分娩台でしばらく過ごし、病室へ戻りました。

そして病室へ戻って1時間ほどが経過したときに看護婦さんが私の元へ車いすを持ってやってきました。「赤ちゃんのところに行こうか」と。大きくうなずきそのまま看護婦さんと共に車いすで隣の病棟へ移動しました。

NICUに入った娘とのぼった7つの階段

NICUで初めて対面した私の赤ちゃん。保育器に入り、たくさんの管に繋がれていました。

小さな小さな我が子。新生児の未熟児用オムツが胸のすぐ下まで来ていてて…でも一生懸命生きている姿に涙が溢れました。

生きて生まれてきてくれてありがとう…こんな小さくしか生んであげることができなくてごめんね…と。

そして初めてNICUに入った私は驚くことがありました。NICUでは娘を含め、小さな小さな体で生きようと必死に頑張っている赤ちゃんがたくさんいました。

赤ちゃんの生命力をとても感じ、私もメソメソせずにママとしてできることをやらないと。そう思いました。

「触ってもいいですか?」

編集部撮影

自分の子供なのに保育器に入ってたくさんの管に繋がれた姿を見ると、触ってはいけないような気がして、私は看護婦さんに思わず「触ってもいいですか…?」と恐る恐る聞きました。

ニコッと笑って看護婦さんが「もちろん!」と言ってくれて、私は産後初めて我が子に触れました。

ふにゃふにゃの手に皮が薄くて細すぎる腕。でもちゃんと生きていて…一生懸命呼吸していました。一生懸命手足を動かしていました。

そんな姿にまた涙が溢れました。

我が子は生きようと必死でした。私が触れると「ビクン」と反応して手を動かしてくれました。この子を守ってあげなきゃ…そんな思いでいっぱいになりました。

そして、幸いなことに娘はNICUに入っていた他の新生児ちゃんより症状は安定していたため、1ヶ月くらいで退院できるでしょうと言われました。

はじめての抱っこ

編集部撮影

母子同室の病院だったので同じ部屋のママは赤ちゃんと一緒です。私の赤ちゃんは同じ病室にはいません。NICUで懸命に戦っています。寂しい…という気持ちももちろんありましたが、保育器の中で一生懸命生きようとする姿をみてからはなんだか不思議と心が繋がっているような気がして娘のことを全力で応援している自分がいました。

そしてNICUの看護婦さんにはいつでも会いに来てよいですよ。と言われたので入院中は1日に数回、赤ちゃんの顔を見に行きました。

産後3日位経った日。いつも通りNICUへ向かうと看護婦さんが私に言いました。「お母さん抱っこしてあげてください」と。

「いいんですか?」と答え看護婦さんが赤ちゃんを保育器から出してそっと私の腕の中へ…。

とっても小さくて、とっても軽くて、「こんな小さくしか生んであげられなくてごめんね。」「ママのお腹の中で大きく育ててあげられなくてごめんね。」という気持ちでいっぱいになり、またもや涙腺が緩みました。

頑張るぞ!って決めたのにどうしても娘の姿をみると色々な感情がこみあげてきて涙が止まりませんでした。

弱虫なママでごめんね。

赤ちゃんを病院に残して退院

編集部撮影

産後4日目に私は退院しました。赤ちゃんを一人残して…。

早くおうちに連れて帰ってあげたくて、早く一緒に過ごしたくて仕方ありませんでした。

家に帰ると長女が「ママ~!」と飛びついてきました。そして長女はわたしに聞きました。「ママ、赤ちゃんは?」と。

「赤ちゃんは病気が見つかったからまだ病院にいるんだ」「ふ~ん」と言いながらも寂しそうな表情をする長女に「赤ちゃんが元気になって帰ってくるまでママと一緒に待っていようね!もうママいなくならないから。寂しい思いさせてごめんね。」

そう伝えました。嬉しそうな長女の様子に心が温かくなりました。

でもやっぱり赤ちゃんの事が気になって…。赤ちゃんの為に用意したベビー用品は綺麗なまま、赤ちゃんの為に用意した長女が使っていたお下がりのベビーベッドには寂しくおもちゃのメリーがまわっていました。

ママになった実感

病院 建物 PIXTA

私は毎日赤ちゃんに会いに車を走らせNICUのある総合病院へ通いました。1日も欠かさず毎日通いました。赤ちゃんの為に搾乳して冷凍した母乳を持って…。

そこで毎日来る私に看護婦さんが言った一言を私は今でも覚えています。

「お母さんは偉いね、毎日来てくれて。他の赤ちゃんのママは中々来てくれないのよ」と。色々な事情があって来られないのは仕方ないけど、みんなあまり会いに来ないんだよ…と寂しそうに言う看護婦さん。衝撃を受けました。

それと共になんだかとても切ない気持ちに包まれました。

なんだか会いに来ない理由がわかる気がしたのです。

赤ちゃんがそばにいないと、赤ちゃんを産んだという実感が全く起きないから。私も実感が湧かないからわざと自分の気持ちを新生児がいるママに合わせるように、夜中に3時間ごとにアラームをかけて搾乳をしたり、赤ちゃんに毎日会いに行ったりすることで自分がママになったんだという実感を自分自身にもたせていました。

赤ちゃんの頑張りで少し早まった退院

編集部撮影

娘は母乳を飲むのがとても上手でこの調子でいけば3週間で退院できるかも!と先生に言われ、私は天にも上るかのような気持ちでいました。「やっと連れて帰れる!」「やっと長女と対面させてあげることができる!」「やっと家族みんなで生活が出来る!」と。

長女はNICUに入れないので赤ちゃんの姿をみたことがなかったのです。

そして迎えた退院当日。この時の娘の体重は2300g。まだまだ小さくて、抱っこするのが怖かったことを覚えています。

長女も「小さいね~!可愛いね~!」と赤ちゃんが帰ってきたということをとても喜び、とても可愛がってくれました。

心配なこともあったけどこの子を産んでよかった…と改めて感じました。

そして私たち家族の元に生まれてきてくれてありがとう…と。

天にも上る思いからどん底へ・・・

編集部撮影

退院して3日後。一度受診して欲しいと言われていたので、再び赤ちゃんと一緒に病院を訪れました。

すると赤ちゃんをみた先生が険しい顔に…。「お母さん採血しても良い?」と言われ採血された娘に下されたのは「再入院」という決断でした。

私は足取りが重く、またNICUのある病棟に向かい、やっと一緒に過ごせるようになった娘と、再びお別れをしました。

娘の為だし仕方のないことだと分かっています。

でも駐車場に戻り、空っぽになったチャイルドシートをみた瞬間、溢れんばかりの涙がこみあげてきて私は大泣きしてしまいました。

まるで子供のように…。

入院は数日と言われていましたがやっと一緒にいれるようになった娘とお別れしなければならない寂しさと、やっぱり私のせいで…という気持ちが強くなり、自分自身をまた責めてしまいました。

今年の桜が咲いたら4歳に

桜 PIXTA

それから数日で退院した娘。その後も色々な病気にかかったり、アレルギーがみつかったりしましたが、無事元気に大きくなってくれて、今年の桜が咲いたら4歳になります。

娘の名前には「桜」という漢字が入っています。毎年桜が咲くと娘が生まれたときのことを思い出します。

大きな病気をすることもなくスクスク大きくなってくれている娘にとても感謝しています。

そして世の中には生きたい!という強い生命力を持った赤ちゃんがたくさんいることを知ることができました。今もNICUには小さな体で闘っている赤ちゃんがたくさんいます。

娘が実際経験したということもあって私は心からNICUで頑張る小さな赤ちゃんの成長を応援しています。子供はママに、ママは子供に、たくさんの笑顔や幸せを与えてくれます。そんなママも赤ちゃんも、人生が笑顔で満ち溢れますように。

もうすぐ4歳になる娘へ

編集部撮影

もうすぐ4歳になるね。まずここまで大きく育ってくれて本当にありがとう。

あなたがお腹にいるとき、入院しているとき、生まれてからもママはたくさん泣いてしまいました。全部聞いていたよね。弱虫なママで本当にごめんね。

あなたは小さな体で生まれた分、何かしらのリスクがきっと後々から出てきてしまうと思っていたけど、少しアレルギーがあるくらいで他は何も問題なく大きくなってくれて本当にありがとう。

あなたとは思い出がたくさんあります。

体重を増やさなきゃと必死におっぱいをあげて、横に大きくなりすぎてむちむちになったこと。1歳になるまで車を走らせて毎月一緒に通ったNICUのフォロー外来。毎日スーパーに一緒に行ってご飯やおやつを買ったよね。お姉ちゃんに内緒でおもちゃを買ってあげたこともあったよね。2人で公園や児童館に遊びに行って、少しずつ大きくなっていくあなたが愛しくて仕方なかったよ。

2人目だったから育児に少し余裕が出てきたということもあって、あなたが初めて寝返りした日のこと、あなたが初めてハイハイした日のこと、あなたが初めてたっちした日のこと、そしてあなたが初めて「ママ」と呼んでくれた日のこと。

ママはどれも鮮明に覚えています。あなたはイヤイヤ期がすごくて、ママは子育てにめげそうになったこともあったけどあなたが生まれた時のことを思い出すと自然と笑顔になることが出来ました。

あなたと出会えたから、ママはあなたから沢山のことを学びました。命の大切さ、赤ちゃんの生命力の強さ、生きたいと思う気持ち。そして親子の絆。

これからも桜が咲いたらあなたは1歳ずつ大きくなっていくんだね。いつかあなたが大きくなったときに、桜を見ながらあなたが生まれたときのことを一緒に話したいです。

ママの元に生まれてきてくれて本当にありがとう。

ママはあなたのことが大好きです。

※この記事は2017年1月に書かれたものです

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