始まりは妊娠中のバセドウ病発症
私が長男を妊娠していたときのこと。いつものように妊婦健診を受けていたある日、私の血圧が異常に高いことが分かり、産婦人科の先生が甲状腺専門の先生を紹介してくれました。そしてそこでバセドウ病を発症していることが判明したのです。
振り返ってみると時々、緊張もしていないのに激しい動悸(どうき)が起きたり、汗をかきやすくなったりしていました。
ただそれも妊娠によるホルモンバランスの影響だろうと安易に考えていたので私自身全く気づかず。あまりに突然の病気ですぐには受け入れることができませんでした。
いつかは治る病気なのだろうか?おなかの赤ちゃんに影響は?無事に産める?無事に産んだとしてもこの体でちゃんと育児ができるの?と、さまざまな不安が脳裏をよぎります。
そんなとき、当時担当してくださった甲状腺専門の先生は私にこのような言葉をかけてくれました。
「ちゃんと出産できますから心配しなくていいですよ。大丈夫です。」
不安がる私に優しく手を差し伸べてくれるような温かい言葉を頂き、私は心から安堵(あんど)しました。先生には今でも大変お世話になっているのですが、この言葉を言われた時のことは昨日のことのように覚えています。
そしてここから私とこの病気との戦いが静かに始まったのです。
服薬しながら長男を無事に出産
毎日バセドウ病の薬を服用していたのですが、並行して張りどめの薬も飲んでいました。そのためこれらの薬の量に慣れるまではなかなかしんどかったです。
しかし根気よく続けたかいもあり、少し早まりましたがおかげさまで長男を無事に出産。それからおよそ4年間治療を続けてきましたが、今ではようやく薬を飲まずに様子を見ていけるほどまで改善しました。もはや自分がバセドウ病だったことさえもはや忘れている毎日です。
妊娠していなければこの病気に気づけなかったかもしれないので、おなかの中から息子が教えてくれたんだと感謝しています。
長男が2歳のとき交通事故に
そしてもうひとつ、出産した後にも元気でいることのありがたみを感じた経験をしています。それは長男が2歳のころ、私は長男と一緒に私の母親が運転する車に乗っていました。そこで対向車と衝突したのです。
幸い、私の母親もチャイルドシートで寝ていた長男も無傷。しかし後部座席に座っていた私は頭を強打し出血していたため、人生で初めて救急車に乗って運ばれました。
その時は不思議と痛みは全く感じず意識もはっきりしていたので、子どもと私の母親が無事でいてくれたことにとにかく安心したのを覚えています。けがをしたのが私だけで本当によかったと思いました。
思いがけないサプライズ
病院へ運ばれた私は結局、額を数十針縫うことになりました。しかしこの時、同時にあるサプライズもあったのです。
手術台の上で頭から流血している中、私が先生や看護師さんに言われたのは「おめでとうございます」という言葉。なんと、この時私は2人目を妊娠していました。
この状況で初めて判明し、喜んでいいのか苦笑いでもした方がいいのか分かりませんでしたが、血を流しながらも私が満面の笑みを浮かべていたことは間違いありません。
私もまだまだ人生の折り返し地点ほどの年齢ではありますが、本当に人生何が起こるか分からないものだなと考えさせられました。
ママ自身の体を大切に
自分が家族の幸せを願うのと同時に、その家族もまた自分の幸せを願ってくれています。ですからどうぞ、ご自身の体を労わってあげてください。
自分の体を守ってあげられるのは他でもない、自分自身です。私も今年で40代に突入。役所から送られてきた肝炎ウイルス検診を、早速受けてこようと思っています。