わたしの妊娠~出産
私たち夫婦が親になるとわかったのは、筆者が30歳のとき。結婚5年目のことでした。夫婦2人で歩む人生設計を前提として結婚したこともあり、特に妊活などをしていたわけでもなく、妊娠は思いがけないタイミング。
風邪でもないのになんだか熱っぽい日が続いたので、近所のドラッグストアで検査薬を購入。案の定、すぐに陽性反応が出ました。その日の夕食時に夫へも報告。夫も予想外のことに始めは「信じられない…」という感じでしたが、すぐに「大切にしようね」と喜んでくれました。
予想外の妊娠は、想定外のことばかり
子供の頃から「親になる」という予定を立てたことのなかった私にとって、妊娠はびっくりしたり不安になったりすることの連続でした。本当に妊娠について無知だったのですから。
まず困ったのがつわり。テレビドラマで見るような「うっときたから、ひょっとして?」というようなドラマチックなものではありませんでした。ご飯の炊けるにおいやレンジでおかずを温めたときのにおいがつらくて、いつもパイナップルジュースばかり飲んでまぎらわせていました。
少し体重が減りましたが、赤ちゃんはまだ小さい時期だったので、あまり心配せずおおらかに過ごすことを心がけました。それでも、情緒不安定な日もありました。そんなときは無理にがまんしようとせず、大きな声で泣いたり、大好きなお笑い番組を見て思いっきり笑ったりして気分転換。夫にも思いきり甘えて過ごしました。心配もストレスもため込まないのが良かった気がします。
妊娠生活で不便だったこと
妊娠中に一番ストレスだと感じたのは、ファッション大好きな筆者が着られる服に苦労するようになったこと。安全を考えて高めのヒールも控えるようにしました。それでも、どうしても大好きな靴が履きたくてたまらなくなると、靴底をきれいに拭いて、大好きなピンヒールを履いて家の中をぐるぐる歩き回りました。これで少しスッキリ。
妊娠後期に入ると、できるだけ歩くよう心がけました。定期健診のときにもそうアドバイスをいただいたので、張り切って毎日3時間くらい歩いていると、妊娠8ヶ月後半に子宮口が開いてきていることが判明。先生に「いくらなんでも歩きすぎやろ」と怒られてしまいました。
性別も判明したこの時期、家の模様替えやベビーグッズの準備などができ、ちょうど良かったです。この頃になってようやく、本屋さんで月齢ごとに成長グラフが載っている雑誌を買ってきて熟読。おなかの中でこんなにもすばらしいことが起きているのか、と感動しました。今思えば、本当に何も知らない妊婦で恥ずかしいくらいです。
出産の流れ
出産予定日3日前の健診で、先生が「連休明けくらいかな」とポツリ。予定日は5月2日だったのですが、初産だし、遅れているからと言って焦っても仕方ないので、そのときはのんきに「祝日料金にならなかったらラッキーやな」と思っていました。すると、本当に連休明けの5月7日早朝、陣痛が開始。出産予定日から5日遅れてのことでした。
早朝5時頃、おなかが痛くて目が覚めそのままトイレへ。どうもようすが違うと思い、痛くなる間隔をメモし始めました。筆者の場合は始めから約5分間隔。寝ていた夫を起こして、病院に電話をしてすぐに向かうことになりました。病院に着いたのは7時前だったと記憶しています。
分娩室にひとりぼっち?いよいよ出産へ
平日の朝に始まった陣痛。夫の出勤時間が迫っていました。夫の母親は早くに亡くなっていますし、私の母は遠方に住んでいるためすぐには来られません。私は1人、病院に残されることになりました。
その日の病院はやけに混んでいて、病室は満室状態。イベントホールとして使われている広い部屋がパーティションで仕切られ、そこに置かれたベッドで1人、7時半に朝食を食べました。「これから頑張らないといけないから、できるだけ食べてね」そう言ってくれる看護師さんの言葉がうれしくて、ほぼ完食。このときも陣痛は5分間隔でしたが、「痛たたた…」と声が出るくらいに強くなっていました。
おなかが痛いと目が覚めてから5時間後の午前10時、看護師さんに支えられながら歩いて分娩室に向かいます。このときは、途中何度も立ち止まらなければ進めないほどの痛みに。一度は出社しないといけない夫はまだ戻ってきません。でも、筆者の心配は1人で産むことよりも「ビデオが撮れなかったらどうしよう」ということでした。
順調だったはずが、吸引分娩に
分娩室に入って間もなく破水。子宮口の開き具合も順調で、昼前には生まれるのではないかとのこと。「パパ、間に合うといいんだけど、どうかなぁ」と先生たちが心配してくださっていた矢先、11時過ぎに「ビデオ係、登場~」と言いながら陽気なテンションの夫が仕事から戻ってきました。
このときには痛みもかなり強くなっており、大きく「ふぅーっ」と必死に息を吐いている段階。夫との温度差に思わずイラッとしたのをおぼえています。このとき、回旋異常のため産道に赤ちゃんの頭がひっかかり進まない状態に。本当に痛くてたまりませんでした。
急きょ吸引することとなり、分娩室はあわただしくなりました。助産師さんの1人が筆者のおなかへ馬乗りになり、タイミングを合わせて赤ちゃんを押し出します。首にへその緒をぐるりと巻いた状態で、午後2時45分にようやく息子が出てきてくれました。元気な産声を聞いたときの安堵感は今でも忘れられません。
陣痛より痛かったこと
回旋異常で出てきたため、産道が裂けて膣内裂傷になっていました。これを麻酔なしに縫合しなければなりません。会陰切開は陣痛の痛みと興奮でほとんど何も感じなかったのですが、この縫合はどこを塗っているかもわかるほどはっきりとした感覚があるので、とにかく痛くてたまりませんでした。
でも、顔を動かすと真っ赤な顔で元気に泣いている小さな息子が目に入り、それを見ることでなんとか乗り切ることができました。産後もしばらくはおなかに力を入れるとズキンとした痛みがありましたが、2ヶ月ほどでそれも治まり、順調に回復。
母乳を絞り出すのも痛かったです。しかし、わが子が必死に吸おうとしてくれる姿を見て、「ママも頑張るよ」という気持ちになり痛くても頑張れました。
出産を通して学んだこと
筆者は親になる覚悟をしない状態で、ある日突然「親になる」という大きな変化を経験しました。全く予定外のできごとでしたが、これほど大きな喜びを与えてくれるものとは知りませんでした。
きっといろいろ準備をし、赤ちゃんを迎える方もいると思います。情報を集めて何が必要か吟味し、部屋やベビーグッズを用意する…筆者たちにはそういった段階がありませんでした。しかし、子育てという大仕事に飛び込んだからこそ味わえたおもしろさがあったと思います。
親になるのに何が必要か、筆者は一言で語ることはできそうにありませんが、日々の変化へ素直に向き合う気持ちが役立ったと感じています。
産後は、親や友人だけでなく、近所の方や道ですれ違う方などあらゆる人に助けられ、支えられながら子育てすることになります。妊娠中から素直に甘えたり助けを求めたりできると、産後のたいへんなときにも孤立せずに済むかもしれません。
こんな私でも、ちゃんと「親」できてます!
親になるにあたり、きっとさまざまな不安があると思います。でも、赤ちゃんの顔を見るとそれまでの痛みも不安も吹き飛ぶくらいの幸せを味わうことでしょう。
子育ては自問自答の連続。赤ちゃんのときは「これで良いのか、ちゃんとできているのか」とささいなことでもオロオロし、幼稚園へ行くようになると「お友だちと仲良くできているか」と心配になり、小学校に入ると「いじめられていないか、勉強はついていけているか」と心配します。
でも、子供にとって大切なのは「大好きなパパとママと一緒にいること」。
子育てについて詳しいことがわからないまま出産を迎えた筆者たち夫婦でも、ときに失敗もしながら、ちゃんと親になれています。きっと、あなたも子育てを楽しめると思いますよ。