子供を授かることの難しさ
29歳で結婚をして「1年間は新婚生活を楽しもう」と言っていたころが今では懐かしく感じます。赤ちゃんは欲しいと思えばいつでもできるものと簡単に考えていました。
当時は仕事の忙しさもあって、あまり焦ってはいなかったけど、2年経ったときに「不妊」という言葉が気になり始めました。
「何か原因があるのなら」ということで検査だけ受けにいったのが32歳の時。卵管造影と精子の検査をしたところ、特にこれといって問題はなし。
ならばすぐにできるだとろうと思いながら3年が経ちました。
不妊治療の開始
不妊について自分なりにいろいろ調べ、仕事と治療の両立はきついなと判断して35歳で仕事を辞めて不妊治療の開始。
具体的に治療を始めて基礎体温をつけてみると高温期と低温期がはっきり分かれていないことが判明。「黄体機能不全」と言って受精卵が着床しづらい子宮の環境になっていたそうです。
年齢のこともあってすぐに2ヶ月ほど黄体ホルモンの注射をしつつタイミングで様子をみましたが、すぐに人工授精へステップアップ。
人工授精に何回も挑戦したけれど…
「次こそは!」「次こそは!」と思ってなんと11回も挑戦してしまいました。そしていよいよ体外受精へ。排卵誘発剤を使用して卵子を採取するのですが、不妊治療の先輩の話をきくとこれが相当痛いとのこと。
先輩は電車で病院通いしていたけど、歩くのが苦痛で帰るのに時間がかかったなんて話を聞いていたのでそりゃあもう怖かった…
けれども私が通っていた病院では麻酔を使用して採取したので全く痛みは感じませんでした。3回挑戦した体外受精では毎回受精卵が1、2個できて子宮に戻すまでは順調に進むものの着床せず。
ついに妊娠!
運命の4回目の体外受精。受精卵が3個できてその中できれいなものを2個子宮に戻しました。
いよいよ病院での検査の日、結果は陰性。「またダメだったか……」と肩を落としたものの、日が経つにつれて下腹部に違和感が。
生理の予定日が1週間すぎてもやってこず、市販の検査薬で調べたところなんと陽性!病院での検査は早めに見るためこんなことがあるらしいです。
黄体機能不全の治療中気をつけたこと
黄体機能不全の大敵は「ストレス」と「冷え」と言われました。治療中に私がこの2つと戦うために挑戦したことを紹介します。
①マッサージをする
私はストレスがたまるととにかく体がガチガチになるので、マッサージに通いました。
②冷えないようにする
私はしょうが湯を飲むと体がポカポカになりました。体が冷えないように口にするものにも気をつけました。
③人に話さない
特に身内は治療の進度を気にして「どうなったの?」と何度も聞いてきました。それが回数を重ねるごとに苦痛になっていきました。
毎回「ダメだった」と報告しているわけですから…。
そこで4回目の体外受精のときは一切教えませんでした。そのせいかちょっと気が楽になって挑戦できたと思います。
何度も挫けそうになった不妊治療を卒業して
35歳で本格的に治療を開始して、39歳で妊娠。出産にいたっては40歳になっていました。何度もくじけそうになったけど、「今やらなければきっと後悔する」と思って続けました。
そして私の横にはいまやわんぱく小僧となった愛息子がいます。治療の辛さに流す涙もあるけれど、その涙がいつか喜びの涙となりますように。